いい子は、何を基準にして『いい子』なんでしょうか?
いい子は周りの基準での『いい子』であるならば、
その子は、周囲から評価され、認められることによって、自分を保っているのかな。
つまり、周囲からの基準としてのいい子というのは、
自分自身の自己肯定感の欠如ゆえの頼りのなさ、空虚感、寂しさ、憂鬱さを覆い隠すための、
『鎧』なのかもしれません。自己肯定感がないゆえに、自尊心は不安定で、承認と賛同を求めて、
社会的に望ましいとされることの獲得に大きな労力を払う。その中で満足を得られている限りは、
その『いい子』は破綻をきたさない。
破綻をきたさないで生きているうちに、そんな『いい子』に鎧をはがして生きろっていうのは酷ですね。
ましてや、今までそのように生きてきた部分を否定することになる。
なんらかのきっかけがないと、気づかないし、気づけない。
『いい子』というのは、何でもやり遂げてきて、多少の万能感見たいのを感じているようにも思える。
「頑張れば何でもできる」というような、自分は何でも出来る感覚。
でも、現実を受け入れることが出来る人は、出来ないことがあるのは当然と、自分自身の限界を知っている。
『いい子』の生き辛さは、自己肯定感の欠如と万能感が、
『自分が自分であって大丈夫』という感覚を失わせているのかもしれない。
出来なくても、あなたはあなただよ。生きている存在だけで充分認めることが出来ると、
社会的規範にとらわれずに、生活できるのではないかな・・・