もう一つの晴明の生誕地 | 口遊〜鳴きウサギ〜

口遊〜鳴きウサギ〜

生きる為に 息をするのを忘れていた
わたしのまわりが 息をするには狭すぎる
野々草を摘んで 口遊みなが ゆっくり ゆっくり歩きたい
勝利者とは誰のこと?
居心地の悪いところに居たくはないの

もう一つの晴明の生誕地

筑西市の猫島というところに 宮山ふるさとふれあい公園と言う場所があります。

こちらは 安倍晴明の生誕の地 と言う伝承がある。ひっそりと歴史の隅に慎ましく。
が、確かに古史古伝で書かれている。
大坂生誕説はたいそう有名ではあるし、そちらはドラマチックではあるのだが…。

陰陽道はとても重要な文献 簠簋抄(ほきしょう)に、晴明の猫島生誕のことが書かれている。

天竺から唐に伝わった文殊菩薩に授けられたとされた金烏玉兎集があった 経緯は定かでないが
唐に居た阿部仲麻呂の手に渡り、さらに仲麻呂が唐で親交があった吉備真備の手で 日本へ持ち帰ることになる。真備は老年になり 重要な本の意味を知り 仲麻呂の恩に報いるため 仲麻呂に渡された本、金烏玉兎集を仲麻呂の子孫に託すべく 子孫の住む筑波山麓の猫島へ赴いた。

猫島の村に着くと たくさんの童が遊んでいたが、一人の童子は頭上から 光の天蓋が包んでいる。所謂 仏の光のようなものだ。
真備は不思議に想い 名を尋ねると、その少年こそが幼き日の安倍晴明その人だったのである…

金烏玉兎集とは 陰陽道の極意そのもの。あらゆるレシピが書かれている究極本。さもあろう。文殊菩薩が伝えたくらいならば。会得し読み下すのも至難のなら、理解するのもまた至難の業。
晴明が読み解いて解説したとも、子孫が書いたともある。
三国相伝陰陽輨轄簠簋内伝金烏玉兎集(さんごくそうでんおんようかんかつほきないでんきんうぎょくとしゅう、以下「金烏玉兎集」)その本であった。

ウサギが納得したのは 阿部仲麻呂 吉備真備の人の繋がり。その流れ…
阿部系譜…東北地方の阿部、安倍一族。
晴明が表舞台に立つのは 50代後半くらい?
だから シニアの星!
身分だってそれ程高くない、が、才覚は人一倍ある。天賦の才だ。如何せんそれだけでは今も昔も出世は難しい。人とのつながりも才能だ。そしてやはり努力は武器だ。時流という定めは 最初から雄大な時をかけて流れる先が決まっていたのだろう。自然の流れには逆らえない。小手先の呪などは 持って生まれた星の大きさに叶わない。
筑波山麓は きっと星が良く見えたに違いない。

彼が若い頃 氾濫しやすい川に橋を掛けた晴明橋が 筑西市にもある。
その川の たもとに 無患子(ムクロジ)の立派な古木があった。




ご存じだろうか?無患子は 実が成るが、黒い種を持ち 羽子板の羽根のあの黒い部分。つく部分になったり、数珠になったりする。それ程に硬い。青い実は石鹸の代わりに使えたりする。だから石鹸の木ともいうし、燃えにくいことから消化器の木ともいうらしい。

庭に無患子を植えると 病人が居なくなる…と言うことから…無患子…というのだとか…笑

聞けば聞くほど晴明さまはきっとご存じで 橋のたもとに植えられたのでは?と。
川は氾濫して 困るけれど、川がなければ田植えや洗濯、炊事もならぬ。
良し悪しはバランスの素。これこそが 陰陽の理
良し悪し 白と黒 熱と冷 水と火 どちらが強くても良くない…欠けても始末に悪い。水少なき川も水嵩大き川も然り…何事も中庸。

シオカラトンボが ひらひらと来て ここいらあたりは 明野という 明野と書いて
むかーしむかしは あかるのと申したぞ
と ウサギに伝えてくれた ホントかは知らない。ただそう耳に聞こえた。蜻蛉は龍蛇の使いだと 晴明様は書物で言ってた。今年初めて蜻蛉を見た。

ああ…流石に はるあきらさま
明るい野にお生まれですね と納得してしまった。笑