秋の読書 草枕 | 口遊〜鳴きウサギ〜

口遊〜鳴きウサギ〜

生きる為に 息をするのを忘れていた
わたしのまわりが 息をするには狭すぎる
野々草を摘んで 口遊みなが ゆっくり ゆっくり歩きたい
勝利者とは誰のこと?
居心地の悪いところに居たくはないの


夏目漱石 草枕 より
山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
知に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。
とかくに人の世は住みにくい。
住みにくさが高じると、安いところへ引き越したくなる。どこへ越しても住みにくいと悟った時、詩が生まれて、画ができる…

 草枕 秋の読書

学生時代 日本文学 近代の講義で なかなかに苦しめられた 夏目漱石先生の草枕。
今になって少し理解できるようになった。
時を重ねなければ 結局わからないこともあり
人のこともわからないことだらけで、良かれと思ってした 或いは言った言動が 裏目に出ることは 珍しくないのだわ…

草枕でも言われているけれど、人の世は結局人が作ったのだから 逃げようがない。ならばどのように生きようか?が課題であるなあ…と仰りつつ
則天去私を文学的側面で追求しておられたようですが、晩年、「どうも則天去私の道を理するには
則天則私を一度通らねばならないように思う」
とも溢しておられたとか…則天則私 なんてことだ!夏目先生の人間らしさ!
こういう部分 夏目文学が難しくても なんとか投げずに読んでみようって気になるんだわ…

則天去私は 全てを万物の成り行きに任せ 私を捨て去ることですが…なかなかどうして仏教用語でも一番難しいかもしれない境地じゃないかと

ウサギなどは強欲ですから…私が私がとはならないけれど、人並みに物理的欲求、精神的欲求はあるので これを捨て去るのは 非常に難しい…ってか無理…

秋の昼下がり…読書の秋 紅葉狩りの秋
ふと 本棚からひっぱりだした難解な本に考え込んだウサギでした。

にしても どのようにしたらこのような流麗な文章に至るのかなあ?やはり尊敬致します。

麗しき流れのごとき
文学の前にためいき溢し居て
秋の西陽の早も暮れつつ