恋人もしくは 便利屋 | 口遊〜鳴きウサギ〜

口遊〜鳴きウサギ〜

生きる為に 息をするのを忘れていた
わたしのまわりが 息をするには狭すぎる
野々草を摘んで 口遊みなが ゆっくり ゆっくり歩きたい
勝利者とは誰のこと?
居心地の悪いところに居たくはないの

ー恋人もしくは 便利屋ー


蒸せ返るような暑さの中 ベランダで洗濯物を干しながら みどりは思う
なんで わたしは こんなことをしているのだろうか・・・と
見上げる空は 真っ青で 雲ひとつ無い・・・

休みの日は こうして あきらの部屋で 家事をこなし共に過ごすことが 日課になっていたが
あきらは 今日は 会社の飲み会だと言う 帰りは遅くなると言う

べつに 籍を入れている訳でもない だから こんな所帯染みたことをしてやる義理も無い
こういうとき みどりが 軽く怨みを覚えてしまうのは 会社という得体の知れぬ存在だ 怨んでますよって言ってやりたい あなた方の存在が いくつこうして 幸せを奪ったか・・・

この国は どうかしている
まだ 飲み会なんぞというものに アフターファイブも休日も縛りあげて それで何か建設的な親睦を深めたり 日ごろの労を労ったつもりでいる
さっさとプライベートな時間を作ってやることこそが 一番有意義であることに まだ気づいていない お目出度い国である・・・寂しい国である・・・

みどりは 近々自分の飲み会を蹴って付き合い悪いと言われても あきらに呼ばれる度にこの小さなアパートにまるで 呪文にかかったように通っている自分の身の愚かしさをふと 思わずにはいられない 絶対失いたくないものは 女たちとは優先順位を間違えないのだ

点けっぱなしのテレビから 大手会社の不祥事が今日も取り沙汰されていて 小さな泡がまたひとつ 弾ける様を表わしている そうそう・・・洗濯漕に溜まった泡みたく どんどん汚れた泡は弾けて いつか消え去るのだ・・・過去に弾けたというバブル期のときのように・・・大きなスパイラルに陥るのが 今そこにある 危機かもしれないのに・・・

遊んでいる場合じゃないのだ 明日の自分の身の振り方を 考えておかねばならないのだ
もう 若くもない みどりは 自分と あきらの将来の青写真が なんにも出来上がっていないことに 酷く不安を覚える・・・

すべてやることを済ましたので あきらの留守の長居をする必要性の無い部屋を出ようとした
その時 脳裏を掠めたものは あきらが別の女性と歩く 別の幸せかどうか 分からない人生のことだった・・・最近 あきらにそんな影が見えない訳でもない だけど みどりは信じていたし あるいは それも 有りかな・・・とも・・・思っていた

選択肢は 窓から見える公園の木々のように 幾らも幾重にも枝葉は分かれているのだ
それは みどりの人生も同じ あきらを選ばなければ また別の人生もあるのだ

暑い夏とは裏腹に もはや盛りの季節を過ぎたふたりにとって 今は分岐点なのかもしれない
たぶんみどりは 幾つもこんな分岐点を見てきた これが最期の分岐点だと思ってきた
だけど どうだろうか・・・

自分で買ってきたよく冷えたサイダーを 冷蔵庫から取り出すと 効きの悪いクーラーを消して
一気に飲み干す・・・

体内を これまた 泡が駆けおりてゆく・・・ けれど これは 経済の いや 洗濯漕の汚れた泡じゃない・・・透明で澄んだ心地よい泡だ

「あきら・・・もう・・・疲れたよ・・・あなたもでしょ」
実際のところ 奇麗言で褒めてくれても 実は便利屋みどりだと思っていることくらい 分かっていたんだ・・・このところ 捨て鉢になりかけている関係を想い考える

とどのつまり 男と女なんて 慣れ合えば 水と同じで 水の大切さは お酒やジュースの類を飲んでみて初めてわかる だって水は 無色透明 味だってない・・・つまらない・・・
でも それが何をも邪魔しない・・・わかっているのに・・・

果汁だけでは 喉の渇きは止まらないし・・・薬だって煎じられない・・・水・・・

でも 今 みどりもあきらも お互い水を 捨てたいと思っている 人なんて我儘で傲慢だ
代替えがいくらもあると思っている

もう 二度と水に替わる人なんて 無いのかもしれないのに・・・

みどりは 合鍵を静かにホルダーから外し 扉を閉め郵便受けから 鍵を滑り込ませた

「さよなら あきら ヘルパーは 帰るわね・・・次回からは別のヘルパーを雇うといいわ」

エレベーターを使わず 非常階段の螺旋を みどりは軽やかに駆けおりた

季節の蝶が 網から解き放たれて 青空に舞うみたいに・・・

わたし もう一度 飛びたいわ・・・



夏の蝶泡模様なる衣着つ
秋風を聞き疾(いそ)ぎ去るらし