西行 梅か 桜か | 口遊〜鳴きウサギ〜

口遊〜鳴きウサギ〜

生きる為に 息をするのを忘れていた
わたしのまわりが 息をするには狭すぎる
野々草を摘んで 口遊みなが ゆっくり ゆっくり歩きたい
勝利者とは誰のこと?
居心地の悪いところに居たくはないの

ー西行・・・梅か 桜かー

西行 二首

吉野山こずゑの花を見し日より心は身にもそはずなりにき  

         続後拾遺101

訳)吉野山の梢の桜花を見てしまってからは 心がすっかりわたしの身から 離れてしまった(あの桜花に心を奪われてしまったようだ)


花を見てから 花に憧れて身を離れた心をうたいながら 西行は うたの中で それでもしっかりと 我が身 我が心を 見続け それに厭きなかったのである それは さながら花を眺めるそれと同じようであるようにわたしには思える



願はくは花の下にて春死なむその如月の望月のころ
 
         続古今1527

訳)願うのは 花の咲く下で 春に死のうということだ 丁度お釈迦様が入滅された 如月の満月の満開の頃に・・・


さて 実はこのうた 今ではすっかり定説のような扱いとなった桜 実はこのうたに注釈がなく
ほんとうは 花の下の 花が 桜か 梅か・・・判断の分かれるところであることにお気づきでしょうか?

ヒントは 如月の頃 釈迦入滅 釈迦入滅は 2月の25日 果たしてこの頃に桜は咲くであろうか・・・西行は桜のうたは数多く 残しているが 梅もそれに負けず残している

今では 桜であろう と定義されているが 実はこれ 梅ではなかろうか・・・とおっしゃる研究者も多いのである

ウサギは実は 後者の梅派である 確かに 桜の方が映像的にも 劇場的にもいいかもしれない
反して梅は派手さの無いどちらかと言えばごつごつとして固さがある 

梅とはまだ寒さの中に凛と咲き 春の一番報せをする花だ 満月の頃なら この頃の満月はまだ 冷気のせいで 冴え冴えとしている 鶯は梅に最初にとまる そして結実する花である

また 梅は 野晒しになったものに対しては その香りで線香の代わりにもなるだろう・・・
骸は まだ残る名残り雪が 埋めてくれるかもしれない・・・

いろいろ書いてみたが 西行無きあと ほんとうのことは わからない

桜は その散り方を見て うつろいと 儚さ もののあはれをうたったのは公家であり
桜を潔さ と捉えるようになったのは 武家政治が画一されてからのことである

しかしながら いづれのこともよく知っている日本人は だからこそこの桜が 日本の花になっていったことも よくわかっている

過去記事で 木の花は・・・とえば 昔は 梅のことであったと書いたのだが そのあたり 皆さまには この 西行の花 どのように 映るでしょうか・・・




いにしえの人のこころにある花を

  今し眺める不思議思ほゆ


     鳴兎   拝