最近見始めた韓国ドラマがある。
タイトルは『誰だって無価値な自分と闘っている』。
なかなか強いタイトルだと思った。
その響きを噛みしめるだけで、視聴を開始したくなるほどのインパクトがある。
私たちは日々、さまざまなものと比べながら生きている。
過去の自分。
理想の自分。
SNSの向こうにいる誰か。
もっと上手くできるはずだった自分。
もっと評価されるはずだった自分。
もっと輝いているはずだった自分。
そして気づけば、
「自分には何もない」
「まだ足りない」
そんな思いに飲み込まれそうになることがある。
まさに
「誰だって無価値な自分と闘っている」のである。
けれど、本当にそうなのだろうか。
そして、本日の私のリーディングカードは「ペンタクルの5正位置」
このカードは一般的に、困難や不足、孤独や貧困を表すカードとして知られている。
いかにも困窮そうな2人は、目の前にある綺麗なステンドグラスの教会に気が付きもしない。
そこにある助けを求めないとも読めるし、肝心の教会には扉がない(描かれていない)ことから
教会側(現実社会)にも、助ける気がないとも読める。
かといって、今のわたしが本当に困窮しているのかというと、
そうではない。
では、どう読むか?
雪の中を歩く二人のうち仮に一人が自分だとしたら
いかにも辛い現実だ。現実から見捨てられたような孤独な困難に耐えている。
顔を上げる余裕はない。でも一人ではない、ともに貧しさを分け合う仲間がいる。
しかし、こうは読めないだろうか?
もしも私が外を歩く2人ではなく、あの美しいステンドグラスの教会の中にいる
祈りをささげる一人だとしたら?
すでに救いはある、寒さも防げている。
外にいる人から比べても十分に幸せだ。
けれど、まだ祈りたいことがある。
もっともっと幸せになりたい。
自分にはまだまだ足りない。
もっともっと欲しいのだと
また祈る。
理想の自分と今の自分の間にある距離ばかりを見てしまうからだ。
けれど、もしかしたら私たちは、自分に厳しすぎるのかもしれない。
ドラマのタイトルが教えてくれるのは、「自分には価値がない」という事実ではない。
心の中に現れる「自分を否定したい気持ち」に負けず、それでも自分の存在意義を探し続ける人間の健気な抵抗だ。
完璧になれなくてもいい。
理想通りでなくてもいい。
無理に自分を好きにならなくてもいい。
それでも今日を生きている自分を、少しだけ認めてみる。
そんなことなのかもしれない。
だから時には家の外へ出てみる。
少しだけ自分を客観視してみる。
自分にはどんな色があるのか。
どんな色が人の目に映っているのか。
自分では見えないものを、他人は案外あっさり見つけてくれることがある。
ペンタクルの5は、「持っていないこと」を教えるカードではなく、
「すでにあるものに気づくこと」の大切さを伝えているようにも思える。
自分の価値は、自分では見えないことが多い。
それは持っていないからではない。
当たり前すぎて、なんならまだ
足りないとさえ思ってしまうからだ。
だから時々は、人の言葉に耳を傾けてみる。
そして少しだけ外へ出て、自分のステンドグラスを眺めてみる。
外から見た景色は、自分が思っているのと少し違うかもしれない。
案外そこには、自分が思っている以上に豊かな色が隠れているのかもしれない。
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