夕べから降り続いていたみぞれ混じりの冷たい雨が止んで、浅草の空は青く澄み渡っちゃってるわ。
私はご覧の通りのお洒落でエレガントなオフィスレディー。
出来る女と評判の私がその昔、ぷりっぷりのアイドルとしてちょっとした人気者だったことは知る人ぞ知る秘密なの。
当時の芸名はツナヒキ・ユイ。
デビュー時のキャッチフレーズは、
“ふわっとチャームないたずら天使”
もちろん天使は「エンジェル」って読んでね。
えんじぇるるるー♪
私のデビュー曲は「と・き・め・きフェアリーテイル」。もうコッテコテのアイドルソングだったわ。パステルイエローのパフスリーブのふりっふりのワンピ着て、ツーステップの振り付けで、私がアイドルの王道です、て顔して。
でも、セカンドシングルはがらっと変わって、テクノポップ調の「BUGってマイコンボーイ」。もらったときは、あれ? て感じだったけど。
で、サードシングルはまたまたがらっと変わって、マイナービートでちょっと大人っぽい「哀愁のポンピドゥーセンター」。あれあれ?って……
ていうか、私迷走してます、って言ってるようなものよね? どうかと思うわよほんと。
そういえばサードシングル歌ってる頃、ポンピドゥーセンターってどんなところか知らなくて。フランスの有名な建物だっていうからベルサイユ宮殿的な、ロマンティックなお城的なものをイメージして歌ってたのに、引退してからフランス旅行行って本物見たら大泉学園の西友みたいな建物なんだもの。びっくりしちゃったわよ。
陽気に浮かれて屋上までふらふら上がって来ちゃって、来てみてから思い出したわ。私、このデパ屋のステージで、初めての握手会イベントをやったのよね。懐かしいわ……。
すっかりくたびれ果てちゃって、もうステージとしては使ってない感じなのかしらね。なんだかさみしいわね。
なんて黄昏れてたら、そんな私を目を丸くして見つめてる人がいるじゃないの。知り合いだったかしら。あなたどなた?
――あ、私のファンだった方? え、ここで私のデビューイベントに参加してたの? 何それ、すっごい偶然ね。どのへんで見てたの? 一番後ろのほうです。ずいぶん控えめでらしたのね。じゃ、今日はかぶりつきで見てってちょうだい。あの日のあなたはワンオブゼム、今日のあなたはオンリーワンよ。
え、「歌ってください」? ――あなたアホです? オケもないのに歌えるわけないでしょ、って……「持ってます」? 私の音源全部iPodに入ってるの? まぁシングル3枚とアルバム1枚しかないから全部ってもアレだけどね、どうせね。
ねぇ、ちょっと、何してんの。「このスピーカー生きてます」ってよしなさいって。なに器用につないじゃってんのよ。電大卒です? 聞いてないわよ。
やめてってば、プレイとか押しちゃダメ、こらっ、やめっ……
……歌っちゃったじゃないのよ。
気持ち良かったじゃないのよ。何年振りかしらね「と・き・め・き」。よく歌詞覚えてたわね私。結構間違ってました? やかましい。
ま、手拍子とコールありがとうね。懐かしかったわ。でも、思いっきりガチで振りつきで歌ってたのに、立ち止まって聞いてたのがあなただけだってのはどうよって感じだけどね。まぁあんまり立ち止まられても辛いんだけど。
……何泣いてんのよ。感動しました。サインください。覚えてないわよサインなんて。覚えてるの? 書けるのあなた。……書けるじゃないの。あらら……当時いてくれたらマネージャーもずいぶん楽だっただろうにねぇ……いや、何でもないわ。ちょっと見せてね……。
……はい、ン年振りのサイン。てかどう見てもあなたが書いたほうが本物っぽいわ。
しかしアレかしら、ひょっとしたらまだいけるかしら私。全然いけます。嬉しいこと言ってくれるじゃないの。なんだかその気になってきたわ。
じゃ、とりあえず宣材撮りに行ってくるわね――どこ行くのかって? マルベル堂に決まってるじゃないの。
Canon 7D
この物語はフィクションです。怒っちゃいや。
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