人が天寿を全うする。
この世に永遠と不在となる。
悲しいけれど、この悲しみはいづれ誰にでも訪れる。
今回の義父の件で、私も様々な事を学びました。
「どんな選択をしても、どんなに尽力つくしても後悔はある」
ということを前提にいつも動いていました。
私が高校2年生の冬、大好きだった祖母が亡くなりました。
学校帰りに都内のど真ん中で迷子になりながらも、足繁く病院へ通っていました。
看病に行く母に代わり、家事ゴトも頑張っていました。
でも祖母が亡くなった時、
「あの時、友達とお茶せずに病院へ行っていれば・・・」
「あの時、なんでもっと優しい言葉をかけてあげられなかったのだろう・・・」
次々と押し寄せる後悔の念。
今でも鮮明に残っています。
その経験が、今の私を突き動かしている原点だと思います。
【自分が出来ることを精一杯】
これだけを考えて義父の件に向き合ってきたつもりです。
義母に伝わっている部分が少ないのはすこぶる残念だけど、
恐らく義父には伝わっているのではないかな?
モルヒネを投与してから1日も経たないうちに義父は旅立ちました。
そこまでの過程はそれなりに辛かったと思うけど、
もっともっと痛みに苦しむ末期がんの患者さんが大勢いると思うと、
多くの痛みを感じる前に楽になれてよかったのだと今なら思えます。
旅立ちが1週間先、1カ月先でも遺族の悲しみは変わらない。
ならば当人が痛みを、苦しみを多く抱える前の方が絶対にいい。
思い返せば・・・1月10日。
義父は、自分に付いている管を全部外せと言った。
何度も何度も。
その度に、「おとうさん、ごめんね。あともう少しだからね。」と。
誰かが明らかに見えている状態も異様だった。
最後に「明日また来るね」と言った私と握手をした時の力強さ。
バイバイと手を振って、少しだけ笑顔になった義父。
思い返せば、義父なりの懇情の別れだったのだと、今になって思う。
点と点が線になる。
そんな感じがしました。
正直ね、義母から嫌味を言われたり、語気を強く言われたこと、
今思い返しても口惜しい気持ちで一杯です。
亡くなってから告別式まで7日間あったけど、義姉が1泊もせずに帰ったこと。
翌日来る親戚の為に食事の支度をしている私を手伝いもしなかったこと。
泊まる度に私が飯炊き女と化し、義母からは謝辞が全くないこと。
着付け手伝いの時も、焦る私を横目で笑っていた義母のこと。
愚痴を言い出したらキリが無いくらいに不満もたっくさーんあります。
でも、義父への思いや、行動は嘘偽りなく出来たし、
自分なりの精一杯が出来たと思っています。
主人に、
「おとうさんが亡くなってしまったのは悲しいけど、
私は(自分のやってきたことに対しては)清々しい気持ちにもなっている」
と言ったら
「俺もそう」 と。
悲しさと平行して清々しい気持ちも持てた。
義父には本当に感謝の気持ちで一杯です。
私の少ない味方であった義父。
偏屈なおっさんだったけど、私を可愛がってくれたし、私も大好きだった。
今頃、私が棺に入れたお手紙読んでくれているかな?
今回の訃報に際し、友達の存在の有難さを痛感した。
さらには、ここで出会った多くの人からコメントやらプチメやら直メール、
リプライを頂き、本当に感謝しかありません。
ありがとうございました
私が義父を導く方向に迷い始めたとき、的確なアドバイスをくれ
励ましてくれたAちゃん。
本当に有難うございました
ほとんどが未だお会いできていない人が多い中、
こんなにも暖かい言葉を頂けるなんて、本当に嬉しかったです。
亡くなってから2週間ほどしか経過していないのに、随分と前の出来事のような感覚です。