ドライフルーツのブログ -19ページ目

ドライフルーツのブログ

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昨日にひきつづき、お世話になっている小嶋先生の話である。

 小嶋先生は、伊東聖鎬セイコウ先生が行っている医療者のためのセミナーに数多く参加され、筋肉反射テストや読脳法などのメソッドを体得された。
メソッドの体得といういうと語弊がある。つまり、テクニックだけではなく、もっと深い部分で、伊東先生の生き方そのものから、小嶋先生が、小嶋先生の個性として感じ取れる全てを感じ取り、その中から、独自の方法を見つけていかれたのではないかと思われる。
 私は、医療者のセミナーには、参加したことが無いが、伊東先生の一般向けのセミナーに参加したことがり、テクニック的なものは時間的には、2割程度のことも多く、全く、テクニック的な話題にならないこともあった。多くの時間(テクニック2割であれば残りの8割)は伊東先生の体験談などのお話しがメインであった。
その伊東先生のお話も、毎回、自分の身につまされるような話が出てきて、心が揺さぶられる感じがすることが多かった。
セミナー自体は、参加者各個人の現在の抱えている問題を取り上げることもあり、だれの話題になっても、本質の部分では、参加者全員がそれぞれ抱ええている問題点に触れ、セミナー後の参加者の感想からは、全員がそれぞれ、深く考えさせられた話題であったことを覚えている。
そういう意味では、セミナーに参加すると、自分の抱えている見たくない部分、押し隠している部分を見せられた気がして、心理的に厳しい場面も多く、一種の恐怖を感じることすらあった。
伊東先生によれば、人間の脳は、ネットワークしており、その時、そのセミナーに参加する全員の脳の情報をキャッチし、
自動的に全員に影響する話となるということであった。
では、伊東先生の話の目的・方向性とは何かというと、関わる人々の人生が『自分が、自分らしく生きるということ=自分の人生を納得して生きるということ』以外ではありえない。
それは、どのようにして、ということではなく、伊東聖鎬セイコウ先生の生き方そのものが、100%自分らしく生きている人生だからだ。とのことだった。
 という伊東聖鎬先生から多くを学ばれた小嶋先生も、今では、自分の人生を100%に近い部分で納得して生きていらしっゃるのではないかと思われる。
小嶋先生曰く、そういう生き方をしていなければ、人に語ることができないともおっしゃっていた。

 私の中では、
『自分が、自分らしく生きるということ=自分の人生を納得して生きるということ』が、未だにつかめないところがある。
今、自分は納得した人生を送っているか…?というと、そうではない…

やはり、小嶋先生のそばで、その雰囲気を感じ取りながら、毎日を送ったほうが、納得のいく人生に近づくのかもしれない。と、感じている。

今日はこの辺で、
また、明日お会いしましょう。

PS
私のお気に入りの映画マトリックスより、今日の話題に関連した名場面のシーンを以下に掲載しましょう。

マトリックスⅠ(スパーリングプログラム) 15/38 0;49:13
N(ネオ)カンフーを覚えた。
M(モーフィアス)見せてみろ
・・・・
スパーリングプログラムだ。マトリックス同様仮想の世界だ。
重力などの基本原則は同じだ。だがこの原則は、コンピュータシステムのルールとなにも違わない。
ゆがめることもできる。
時には、破ることも。・・・
わかったか・・・
N(うなずく)
M殴ってみろ
できるか?
(闘い)
Mよし!
なれも早い。応用も効く
だが弱点は。・・・
テクニックではない。
N(うなずく)
(闘い)
Mなぜ、負けたと思う。
N動きが早すぎる
Mわたしのほうが、早く、強いとしても。
Do you believe that…my be stronger or faster… 
そのことは、私の肉体と関係あるかな?
この世界で。
…has anything to do with my muscles in this place?
N(息を切らせながら、首を横に・・・)
M君が吸っているのは、酸素か?
You think you’re breathing air? うん?
うん?
もう一度!
(闘い)
Mどうしたんだ。What are you waiting for?
もっと速いはずだぞ。You’re faster than this.
頭で、考えるな。Don’t think you are.
知るんだ。Know you are.
(闘い)
私を打とうとするな。打つんだ。
Come on! Stop trying to hit me, and hit me!
N(最後にモーフィアスの顔面でこぶしを止める)
(観戦していたマウス:信じられない。)

N意味がわかったよ

M君の心を、解き放とうとしている。I’m trying to free your mind, Neo.
入口までは案内する。But I can only show you the door. 扉を開けるのは、君自身だ。Your have to walk through it.
・・・




今日は、日ごろお世話になっている小嶋先生について、書いてみたいと思う。
ただし、私が理解している範囲で書いくため、わたしの理解するという条件付きの、より狭い範囲での紹介になることはいなめない。
もし、小嶋先生をご存知の方がいらっしゃれば、不足している所を補っていただければ幸いです。

小嶋先生は、神奈川県二宮町で歯科医院を開業されているが…
当然、実際に歯科的治療をされることはあるものの…
現在、主にされていることは、
関わる人…(来院される方が主だと思うが…)
…その人が、その人らしく生きていくためのに、その人の脳の情報を読んで、その人自身が(潜在意識レベルで)求めている、その人らしい生方の、手段や方向性などについて、協力していただくさっている。

小嶋先生のブログより、その心情となるところを以下に、一部抜粋してみた。
http://kojimashika.jp/blog/?page_id=2
小嶋敦のブログから一部抜粋
医療者が行うことは、病気や症状をただなくすということではなく、どんな状態にあっても幸せに自分らしく生きていけるように、協力することだと私は気付きました。
病気や症状をきっかけに自分のことを知り、自分のことに責任を持ち、自分の人生を納得して生きることこそが何よりも尊く大切なことだと思います。』

小嶋先生と初めて知り合ったのは6年ほど前で、
わたしが、ちょうど、家族の健康問題で医者に頼らないで病気症状を改善する手立てはないか悩んでいた時、インターネットで伊東聖鎬セイコウ先生の情報に触れたことがきっかけだった。
伊東先生は、相手の脳の情報を読んで、病気症状を改善するセミナーなどを全国で開催されている。

しかも、丁度その時期に、たまたま、私の住んでいる大磯町の隣町の二宮で歯科医院をされている小嶋先生が、伊東先生を小田原に招き、セミナーを開催されることを聞いた。

早速、小嶋先生に面談を申し込み、伊東先生のセミナーに参加することになった。

そのことがきっかけで、現在も、家族の病気症状の改善はもちろん、人生の諸問題についても相談している。
これらを通して自分のことを知り、自分の人生を納得して生きることができるように、したいと考えている。、

それでは、今日は、この辺で
また明日、お会いしましょう。
前回10/30にCWの小嶋先生に受診し、約2週間ぶりに、先生とお話しした。

目的は、
1)座骨のプログラム障害
(わたしの場合は、左の座骨がロックして遊びが無いために5分以上座っていられない状況)の改善施術。

2)家族の健康問題にどうかかわるのかということについて相談したところ、示唆に富んだお話を伺った。

1)については、単に施術ポイントを施術しただけなので、備忘録として、巻末に掲載する。

2)の家族の健康問題(特に健康状態に支障があるときに)にどうかかわるかということだが、
目的・目標によって、色々な方策を提示してやり、
その中から、自分で適切なものを決めさせることだ。
そうすることで、自分に合った改善方法を自分で考え自分のルールを作る手伝いをしてやることである。
ただ、やってはいけないことは、相手が全て相談相手に丸投げするような頼りきった姿勢になるような誘導の仕方は、避けた方がよい、なぜなら、改選されなかった時には、相談相手のせいにするし、改善された場合は、相談相手に頼り切ってしまうことになりかねない。
よって、健康回復のアイテムの選択は最終的に本人に決めさせることだ。
ということだった。

この話を伺った時、以前、営業の神様、加賀田晃先生のセミナーで営業の鉄則で教わったことと、同じことを言っていることに気が付いた。

加賀田先生は、自分の考えを押し付けてはいけない、最終的に決めるのは相手。
ただ、質問をしなさい。どちらかというと、どちらがいいですか。と、
お客様が気づいていない、自分の好みや欲しいものをはっきりさせてやる。引き出してやる。ことが営業の役割だ。
買わないより、買った方がいいに決まっている。それが、お客様の為である。どんなもの、どんな商品でも、必ず、メリットがある。
必ず、買って後悔するようなことはない、しかし、相手から、無理強いされてかわされたものは、あとから後悔する。だから、相手に決めさせることである。
ただ、あくまでも、お客さんが買って、必ず得をするという信念のもとに、お客さんが買うことが前提である。
そして、お客さんが自分が決めたものは、いつまでも満足して使うけれど、相手(営業)が決められたものは、必ず、あとから後悔して、トラブルになります。自分で決めたものは、後悔がありませんということだった。

家族の健康問題についても、営業の鉄則が生きているのだ…

家族の健康問題についての対処方法
①その症状がどういう状況なのか(どういう時にどういう状況になって困っているのか)
②本人はどうしたいのか、相手と十分なコミュニケーションを取りながら、相手の状況を確認しつつ、相手が望んでいる方向性を確認していく
③改善するには、どんな方法があるのか色々な、選択肢を提示してあげる。
 ・西洋医学的な対処法(医師に抗生物質を処方してもうい、それをどのように使うのか、本人に考える機会を与える)
 ・免疫力を向上させる
  ・ポイントを出して施術できるようにする
  ・天然のモノで抗生物質と同等の働きをするものを外部より摂取する(プロポリス・オリーブ葉エキス)
 ・食物療法
 ・その他、色々な方法を考え、候補としてあげる。
④そして、その中の何を実行するかを、本人に決めさせることである。
⑤本人が選択した方法により、効果があったかどうかを確認する
⑥レビューする。効果が無かったら、なぜなかったのか、検証する。そして、その検証結果に基づいて、次のステップとして①に進める。…

このサイクルを繰り返すことである。

よく言われる、PDCA(プラン・ドゥー・チェック・アクション)のサイクルを回す。ということ。

営業の役割は、④までかもしれないが、相手と向き合う人のスタンスは、⑤と⑥が重要である。

そうして、自分で考え、自分で納得のいく人生を選択できるように誘導していくことが、必要であろうと感じた。

小嶋先生の
ベクトル(方向性)・スタンス
相手が、自分で納得いく人生を送る(自分らしい生き方)ためには、どうしたらよいか。
ということを常に考え、生活している方である。

今日はこの辺で、
また、明日お会いしましょう。

PS
座骨の揺らぎ回復療法の備忘録として1)について、以下に掲載する。

1)小嶋先生に施術ポイントをドロッパーで2か所施術し、施術効果を延長するポイントを出してもらい、自分でも日頃施術することにより効果を延長するポイントを出してもらった。

小嶋先生の施術ポイントは、右頚椎1番I5
P・左頚椎1番I5P
10/9に第一回の施術をしたときは、効果は約5日
前回10/30に2回目の施術では、約9日効果が継続した。

今回は、効果が延長するポイントを出してもらい、自分でも毎日施術することで、効果が持続するポイントを出してもらった。
右第3楔状骨EX5P 1日3回施術とのことだった。


『足るを知る』の意味は、

あなたの奥には、十分なパワーがあるということを知りなさいよ。あなたの奥には、十分なパワーが宿っていて、そのことを十分に理解しなさいよ。

ということだそうだ、

例えば、
財布の中に100万円入っているということを知らずに、2千円しか入っていないと思い込んでいる場合、2千円分だけの買い物しかできないが、100万円持っていることを知っていれば、100万円分の買い物ができる。…

いやいや、100万円だけでは、心配なのでせいぜい使えるのは50万円ですよという方は、1000万円…
それでも足りなければ1億円が…
それでも足りなければ、…
無限に使える金が財布の中にあると考えれば、簡単である。

が、それがなかなかできない。

人間は、内に無限の力を宿していると言われている。
しかし、今までの教育の成果で、完全に自信を失い。
無価値観から、自分には、力が無いと思い込まされている。
…というか、勝手に、思い込んでしまった。

東大六郎さんは、理由なく思いこまされた自信のなさは、理由なく、自信を持てばよいという。


足るを知るの本当の意味を心底、理解する事が出来れば、良いのだが、劣等感、無価値観が邪魔をする。
そんな実力ないですよ…と…


実力ってなんだ。
自信てなんだ。
そんなもの、初めからありはしないのに、自信のある雰囲気の人もいるじゃないか。

たとえ、自身が無くても、これからは、自信があるふりをしていこう。

慣れてくれば、初めはうその自信でも、何度も、何度も練習していれば、本当の自信につながるときが来るかもしれないし、来ないかもしれない。

どっちに転んでも、損はない。

そうか、これから、演技をしていこう、自信の満ち溢れた演技を…

そうだ、俳優のように演じよう。

ああ、私には、無限の力が宿っているということを知っている。
全てを動かす力があることを知っている。

それでは、また明日お会いしましょう。

PS
ここで、映画マトリックスでモーフィアスが、ザイオンの同志の前で呼びかけた言葉を以下に掲載しておく。

◆◆マトリックスⅡ
モーフィアス:
ザイオンよ。聞いてくれ。真実は、みんなが聞いているとおりだ。機械たちは軍を結集し、まさにこの瞬間、この町に向かって前進を続けている。間違いなく、われわれの前には、困難な時が待ち構えている。だが、それに備えたいと思うなら、まず我々は、恐怖に打ちかたねばならない。そして今ここに、こうしている私は、偽りなく、恐れていない。なぜか!信じられないことを信じているからか。違う。なにも恐れず。私がここに立っているのは、覚えているからだ。私の先にある道が、私をここへ導いたのではなく、私の歩んだ道が、私を導いたと。われわれが100年間機械と戦い抜いたことを私は覚えている。この100年に機械たちは軍を送りわれわれをつぶそうとしたことを覚えている。一世紀に及ぶ長い戦いが過ぎた今、一番大事なことはなにか、覚えている。我々は生きている。
今夜。われわれは、機械の軍に対してメッセージを送ろう、今夜この洞窟を揺るがそう。今夜。この鉄と岩のホールを揺さぶり、決意の地響きを轟かせよう。真っ赤に燃える地球の核から、黒い空に至るまで。そして今夜、機械たちにはっきりと思い知らせよう。ここは、ザイオンだ。われわれは、けっして、恐れない。


今日は、家内の父の三回忌があり、家内と娘3人と出かけ法要の後の食事会には、家内の実家4人と、義理の姉の家族5人が集まった。

家内の父は、どちらかというと寡黙な人であったが、ひとたび口を開くと、なかなか中身の濃いことを言う印象があり、家内とわたしと、思い出話をすることがある。

しかし、父への印象は、我が家でのそれと実家や義姉の家族のそれとは、大分違っているようだった。


一方、お経を読んでくれたお坊さんが、
『故人はここに来て喜んでいらっしゃいますよ…』
というようなことを言っていた。
確かに…
お経を読んでいる間、義父の過去の印象が色々とおも出さた。

家に帰ってきて、思うことは…
先ほど一緒に談笑していた義母も義兄も今目の前にはいない…
今は、義母や義兄に対するわたしの中の印象だけで、その印象は、今は故人となった義父の印象のそれとなんら変わりがいない。


・前述した我が家と実家との義父への印象の違い…
・また、故人と目の前にいない義母や義兄への印象…
それぞれの人への印象は全て、自分の中の印象だけで、全て自分自身
(の印象:その人自身ではなく自分が感じているその人への自分の中で受け取っている印象)
が形づくっていて、もはや、生きていようが生きていまいが、何ら変わりがない。

そう考えた時、坊さんの言っていた『故人も此処に来て、喜んでいらっしゃいますよ…』というのは、あながち、外れていない…
むしろ、その通り…
という感じがした。

スピ界で言われる『他人はいない…』とか…
『故人は、自分の中に生きている』
というのは、そういうことだなぁと感じた一日であった。

今日はこの辺で終わりにしたいと思う

また、明日お会いしましょう。

PS
今日、昼の食事会に来ていた甥が、その食事会のお店で昔から、まかないとして働いている店主の義母(70才位の方)から、『ぼく…』と呼ばれていた。ちなみに甥は今年23才で身長は、180近くあり、高校時代は柔道をやっていたため結構体格がよい。w

そのお店は、コギレイな飲み屋さんで家内のいとこが店主でお店を開いている。そんな関係から、甥がまだ乳飲み子だったころから、義姉の家族も良く通っていた。
だから、その店主の義母の印象としては、未だに『ぼくちゃん…』なのだろうw
印象は、それぞれの人の中にあるなぁと感じる出来事だった…

さて、今日は何を書こうと思った時に…
家内が、たった今、気づいたといって語りはじめた…
なるほど、と思ったので、そのことについて私の感覚で感じたことを書いてみたいと思う。

津留晃一さんの言葉の中に、
『自分のものは何一つない…
 …全て、自分のモノ、全て自分が作っていると思ってください…』
というような言葉があった…
どういう意味か考えていたら、答えが来た。と言って、家内が語り始めた…

全て自分のモノ、全部自分が作っている…
というのは、僕が、妻からむいてもらった
リンゴかじった時に思わず。うまいリンゴだね~というのを聞いて…

あっ!そうか~
僕が感じている。うまいっ!という感覚と…
妻(自分)
が、感じる美味しいという感覚は、同じリンゴを食べても、きっと違う感覚なはずだね…
その感覚、自分が感じているその感覚は、その人しか感じられない…ということは…
その人の感じていることは、その人自身の独自のもので、誰一人同じ感覚はない。
それが、自分が全部作っていると表現されたのじゃないかなぁ…

なるほど、自分が感じる、うまいという感覚は、確かに人それぞれ、千差万別で、誰一人同じ感覚で感じ取ることができない。

であれば、その感覚…その自分自身を…自分自身しか感じられない感覚を大切に味わっていきたい。
この世に生を受け、この肉体というフィルターを通して感じられる感覚…過去の一切の経験から感じられるこの感覚をもっと大切に感じていきたい。

美味しいものを味わうときに、よく3女がやっている、目をつむって、感じているそのものと一体になろうとするあの感じ方が、良いのかもしれないなぁ~

更に、自分が感じる感覚…
ウマいという感覚などの…ポジティブな感覚は、そこにずっとひたりきっていつしか過ぎ去っていく…
これとは逆にネガティブな感覚…マズイという感覚や、怖くて逃げ出したい感覚、自分にとって嫌いな体験も全て、その人自身の感覚、体験であり、その嫌な感覚、逃げ出したい感覚も、その人自身のモノなのだ…
そういうネガティブな感覚も、大切な大切な自分自身だ。
これからは、その大切な自分自身もできるだけ味わい行くしていこうと思う。
でも、怖い時は、また逃げるかもしれない…
どうしたら、逃げずに、味わい尽くせるだろうか…
まだまだ、自分自身の課題である。

今日はこの辺りで終わりにしたいと思う。
また明日お会いしましょう。

PS自分のモノは何一つないについては、またの機会に書きたいと思う…

PS2色々な感覚、感じは、感じつくせば、それぞれ終わっていくモノ…
感じつくさず、逃げてばかりいるから、その体験は終わらず。また、何度も出てくるということも聞く…
また、いつものように逃げるかもしれない、怖くて感じていられずに…また逃げるかもしれないけれど…
感じていれば、いつかは、過ぎ去っていく、この感覚の受信機であるこの肉体もいつかは終わりが来るその終わりが来る前に、色々な体験を感じつくしていきたい…

自分で体験したことで無ければ、人に語ってはいけない。
津留晃一さんが、あちら側から言われた言葉だそうだ…


(シャーマン的に)あちら側から、降りてきた情報だけをそのまま腑に落とさずに流すと自分の中で未消化のために、げっぷが出るようになった

と、今朝、妻が教えてくれた。

自分はどうして、その言葉を引っ張ったのか…

ブログを書き始めて、10日ほどになるが…
自分の経験、心情をブログを通して書く、発信することで、発信者になることを決めた。
だから、先ずは、このブログを100日間は続けようと始めたのだが…

自分がこの言葉を引っ張った理由として…
自分の体験として消化した上で書いていないと思っているのか…

体験とか、腑に落とすとか…
際限がないのではないのか…
どこまで行けば、体験となるのか…
どこまで行けば、腑に落としたことになるのか…?

どこまで行っても際限がないのであれば…
どこまで行っても体験が腑に落としたことにならないのであれば…
今この時点の自分の心情をつづることにしたい…

例えば、
事務職だった私が、突然、現場への異動命令に従い、現在、自動車部品会社の倉庫でフォークリフトで荷役を始めた…

フォークリフトも実際にやってみると、奥が深いと感じている…
人の荷役作業を見ながら、次は、ああいうテクニックを使ってみたい…
もっと、荷をふわっと置くには、どうしたらよいのだろうか…
もっとスムーズに走行させるには…
一つのことが達成されると、その後には、
次は、…
次は、…
次は、…



ということが出てくる…
体験が積み重なれると…
次のステージ、次のステージへと昇っていく…

失敗して、だんだん上手くなるんだよと職場の先輩が言っていた。
失敗はしたくない。失敗すれば、時間はかかるし良いことが無いと思い込んでいたが…

実際に、荷崩れを起こして部品の荷を倒してしまった時
始めて…
次は、こうしてみよう、いや、こうしたらどうか、ほかの人は、どんなやり方をしているのかと真剣に考え…
次の荷役にも、工夫が生まれてきた…
実際に、失敗?と思えることは、失敗なのではなく、次の工夫への招待状だったのである

そうして、だんだん、その作業(遊び・ゲーム)に慣れ親しんでいき、艱難があって、また、次のステージに行く…
それが、少し体感できた出来事だった

テレビゲームで一画面をクリアした後に
次のステージに上がって…
次のステージをクリヤすると、また次のステージをクリヤするために、ゲームに取り組むようなものかもしれない…

人生ゲームも同じで、際限がないのだろう…
この人生がおわったら、また、次もやりたい、
次はもっとこうしたいというように…w

伊東聖鎬(セイコウ)先生が仰っていた。
『わたしは、(人の)病気治しをしたいわけではない…』

今日のタイトルでブログを書き始めて
つらつらと考えていたら、伊東セイコウ先生のこの言葉を思い出した…

今、その言葉の真意が、以下の様な事だったと思える…

病気を治してあげてしまうのは、その人の体験を奪ってしまう行為になる…
その人が、自分自信の体を通して体験しようとしていることを他人が簡単に治してしまっては、その人の可能性も奪ってしまうことになりかねない…

身体に不調が発生した時、それは何かのサインである、そのサインには原因があり、その根本原因を取り除くことで、サインを消すことができる。
また、その人の問題の答えは、必ずその人のなかにある。
その人の問題解決方法は、その人の脳が知っている。

伊東セイコウ先生は、その人の脳の中にある情報を読み取って、その人の脳の中にある解決方法のひとつとして、施術ポイントとして教えてくれる…
但し、あくまでも、施術するのは、その人自身である。
施術したからと言って、一朝一夕には、治らない、そして、それを続けていくうちに、次はこうしてみようとか、色々と工夫が生まれそれを実践してみるというように、
次々と実践と失敗の繰り返しのうちに、いつしか問題が消えていく
このようにあきらめなければ工夫が生まれ、工夫は成功体験へと昇華していくことになるかもしれないし、
次なる失敗体験へつながることになるかもしれない、失敗すれば、まだ、そのアイテムで遊べるということである。

必然的に、自分の体と心に向き合うことになる…

他人任せにせず…
その人自身の体験のチャンスを奪わないように…
かといって、全く、突き放すのではなく、求めれば、方向を指し示してくれるのである…

だだし、あくまでもその問題に取り組むのは、その人自身…
自分の肉体で遊べるのは、この肉体があるうちなのだ…

ということで少し中途半端だが…

今日はこの辺で終わりにしたいと思う。

それでは、また、お会いしましょう。
最終的には、
『本当の自分って何だろう。』
という大きな問いかけとその答えを
探っていくことだと思うが…

その前に…

自分は、今、何を感じているんだろう。
自分は、今、何を考えているんだろう。
と問いかけ、答えが得られなくても
問いかけ、問いかけ、問いかけていく内に
答えが得られるかもしれない

どんな外的刺激にどう対応しているのだろう。

(天気が悪かった昨日一昨日(月曜火曜)は、
 (雨と曇り空が多く、湿度が高く、
  どんよりとした雰囲気に感じた為か) 
 朝から憂鬱で、なんでこんなことまでして
 働かなければいけないのか。とか
 生きている価値があるのか…とか
 雨が降ると仕事に使う容器を
 乾かさなければならず、
 こんな大変な思いまでしなければならないのは、
 誰のせいだよ。と、心の中は不満でいっぱい…
 完全にネガティブ思考になっていたのが…

 今日(水曜)は、朝方から晴れ間が出て
 爽やかな雰囲気だったせいか
 何とさわやかで、こんなに働きやすい環境で
 働くことができて、何と幸せなんだろう…
 仕事で使用する容器も
 今日の陽気でよく乾く…
 
 と昨日までと打って変わって、
 ポジティブな心の状態になっていた)

どんな内的刺激に、
どんな反応をしているのだろう。

その反応は、次に何を、どんな反応を起こして、
その反応によって、次にどんな反応をして…
どこまでドミノ倒しが進むのか…
ドミノが倒れた後には、
どうしてそうなったのかがわからない状態で
憂鬱な状態に陥っている…

私の外的内的刺激への反応は、

この世に生まれ出でて、主には親から教わり、
受け入れ受け取ってきた
法則を信じ込み
勝手に自分の中で原因と結果の法則として構築してきた。
(受け取らなかった人は、当然、影響を受けないのだが…)

受け取るのも受け取らないのも
その個としての特質であり、
わざわざ、受け取ったのだから、
そこには、何かしらの宝が隠されているに違いない

危険なところには、宝が隠されているが
怖くて近づけない…
近づこうとしても、心が、後ろ向きになってしまう…

その原因と結果、
自分の中で築き上げてきた、原因と結果の法則

それは一つや二つではない…

・働かざるもの食うべからず
・早起きは三文の徳
・努力は、いつか報われる
 (いつかは来ないかもしれないというのに…)
・後ろ指差されないようにしなければいけない
・好きなことばかりやっていては、ダメだ。
・まじめに働かなければだめだ
・雨や曇りの日に気分が憂鬱になること
・雨の日のことを天気が悪いと言い
 晴れた日を天気がいいと言うこと



etc…
etc…etc…

本当にそうか、本当に信じ込んでいることは
そうなのか…

真実と思い込んで、受け取り、それに縛られてきた。
しかし、それ以外の選択をしようとしても
からだが言うことを聞かない。


あまりにもなじみすぎて、そう思い込んでいる
ということさえも気が付かないこともある。

結局そこからは逃れられないのか…
結局、元に戻ってし
まうのか…

唯一の救いは、そこに近づくと、
憂鬱になる。危険を感じる。などなど…

今までは、そういうものから、遠ざかってきた
避けてきた、怖がってきた

これからは、これらのこと…
反応する感情を見つめていこうと思う…

そうすることで、
自分の獲得してきた因果の法則を越えて
思い通り
に選択できる世界に
突き抜けていきたい…

それでは今日はこの辺で、

また、明日お会いしましょう。

PS
今日の記事に関連して、
思い出した
映画の中の一節をご紹介しましょう。

今日の記事を書いていて、ふっと、
思い出したので読み直してみたら…
そういうことだったのか…

という感じでした…

映画【マトリックス
 Ⅱ】
名悪役メロビンジャンとネオ(主人公)達との会話より

M(モーフィアス):我々はキーメーカーを探している。
ME(メロビンジャン):あーそう。確かに。キーメーカーだったな。
でもそれは、なぜ来たかの理由ではない。
キーメーカーは、その本質において、手段であって目的ではない。となると、あいつを探すのは、他にしたいことがあるからだ。
それは、・・・なにか。
N(ネオ):あなたはもうその答えを知っている。
ME:だが君は、知ってるつもりだが知らない。
君がここに来たのは、指示されたからだ。
行けと言われたからだ。
そして君は従った。
ははは・・・。
まあ、物事はそんなものだ。
そう、唯一、既に変わることなく・・・
あらゆるものを支配する真理がある。
因果関係だ。
作用、反作用。
原因そして結果。
M:すべては選択から始まる。
ME:いいや違う。
選択は幻想だ。
あるのは、ただ、力をもつ者と、持たざる者。
・・・・
見たまえ、あの女だ。
(1:06:25)
何と言えばいいか。まあ見てくれ。
周り中に漂わせている雰囲気は、気取ってて、俗っぽく、つまらない。
だが待ちたまえ。私は、あの女にデザートを用意した。
とびっきりの特別なデザートだ。
私が自分で書いた。
始まりはとても単純だ。
プログラムの一行一行が、新たな結果を生む。
あたかも詩のようだ。
先ずはじめに、ほっとして、熱くなり、心臓が高鳴り。
そうだネオ。見えるだろう。
彼女には分らない。ワインのせいか。いいや。
それでは何だ。何が理由だろう。すぐに分けや理由は消え去って行く。そして大事なのは、その感覚だけになる。それがこの世の中の本質。
私たちは、もがき。それを否定しようとするが、見せかけにすぎない。偽りだ、平静を装った外見とは裏腹に、実際のところ我々は完全に自分を失っている。
因果関係。そこからは、逃れられない。われわれは、永遠にその奴隷。われわれの唯一の希望、唯一の安らぎは、その理由を理解すること。何故かと。
彼女たちとの違いだ。
君たちと私と。
理由こそ力の源だ。それを欠けば無力。
君たちは、理由を欠き、力を持たずにここにきた。
皆似たようなもんだ。


座骨のプログラム障害…


※座骨⇒腸骨=骨盤の一部で座った時

お尻の下になる骨で左右一か所ずつあり、

座った時に
身体を支える骨を座骨と呼ぶ



以前、もう2年以上前になるが

伊東聖鎬(セイコウ)先生のセミナーに出席した時に

座骨の揺らぎが無く、座骨のうちの右か左どちらか

あるいは、両方がロックしてしまっているために

固い椅子に長時間座っていられない人がおり

そういう方は、長時間座ることが不得意な方である

ということであった。


これを、座骨のプログラム障害と命名していた。


プログラム障害というのは、

この世に生まれてきたときに、自分の身体の

状況として自分がそのようにプログラムして

生まれてきたということで、

この世に生活していくうえで快適でない状況を

プログラム障害と命名していた。


座骨のプログラム障害のない方は、

通常、10時間以上座っていられるとのことだが、

座骨にプログラム障害がある方は、

人によって、座っていられる時間が違うが、10分という人もおり

30分とか1時間という人もおり、人によってさまざまだとのことだった。


また、プログラム障害にも、色々なものがあり、

手首の付け根の骨(どこの骨だか忘れてしまったが)

にプログラム障害がある場合は、

片づけごとが出来ずに、常に身の回りが散らかっている

状態になっていたりと、一口にプログラム障害と言っても

色々とあるとのことだった。



最近、小嶋先生とも話しているのだが、

人間関係で芳しくない状態に陥りやすい人もプログラム障害の

可能性があるのかもしれない。とのことだが、

中々、判別には、時間がかかる場合もあるようだし、

そうだと確定出来ない場合もある。とのことだった。



座骨のプログラム障害という場合は、座骨に遊びがなく

ロックしていて長時間座っていられない(耐えられない)

場合を座骨のプログラム障害と呼んでいた。



その時は、あまり気にしていなかったのだが

最近、自分も座骨の左がロック(遊びが無い状態)していて沈み込まず

長時間座っていられないことに気づいた

わたしの場合は、3分くらいで座っていられない状況になる。



セミナー参加者の3割ぐらいの方が、

座骨のプログラム障害だと指摘を受けていた事を思い出した。


座骨のプログラム障害の場合、色々な弊害が出てくるとのことで、

先ず、長時間座っていられないために、

子どもの場合は、授業を座ったまま聞いていられず

立上ってしまったりということが起こる。

多動性障害なども座骨のロックによって

長時間座っていられないことに起因する場合もあるようだ。



また、大人の場合は、旅行が得意でない方は、やはり

長時間座っていられないために、そういう状況になるとのことだった。


座っていて耐えられなくなると足を組んだり、

色々と座っている姿勢を変えて、何とか時間稼ぎをするようだ。

また、長時間座っていると、辛いために、椅子にふんぞり返る

ような姿勢で腰かけないと耐えられなくなるのも

座骨のプログラム障害に起因していると考えられる。



また、座骨のプログラム障害の場合、脊椎パワーがなくなり

肩に手をかけた時に、直立していられず、肩が簡単に

下がってしまう状況となる。



私見だが、腰痛持や、椎間板ヘルニアなどもこの

座骨のプログラム障害によって、引き起こされる場合も

少なくないのではないかと思われる。



当時は、この座骨のプログラム障害を治すには

プログラム組み換え療法があり、生まれてきたときに書き込んできた

プログラムの中身を書き換えるという療法で、

その療法は、当時、伊東聖鎬(セイコウ)先生でなければできなかった。



最近では、お世話になっている小嶋先生も

この療法ができるようになったとのことだったので

お願いして、施術してもらうことにした。



始めて施術してもらった時は、5日後に

元に戻ってしまったが、座骨のロックがなくなった時の快感は忘れられない。

それまでは、少し座っているだけでも、腰が痛くなったのだが

施術の効果が継続しているときには、いくら座っていても

全く腰が痛くならないので、座ってする作業が全く苦にならなかった。



元に戻ってしまった時には、やはり、左の座骨のロック状態を感じ

少し座っているだけでも腰痛となるのを感じるようになった。


2回目に施術してもらったのは10/30で施術効果は10日ほど継続した。



やはり、施術効果が継続しているときには、

快適に座っていることができ、座ってする作業が注意散漫とならず

集中力だ上がり、快適であった。



昔から集中力が続かないのは、この座骨のプログラム障害

も大きな要因の一つだということを身をもって体験できた。


わたしの座骨のプログラム障害も一朝一夕には、

完全に改善しないようだし、

また、このプログラム障害にも何か意味があるのであろうから

地道に改善への過程を楽しんでいきたいと思う。


(伊東聖鎬先生曰く、

 何か、身体に不都合があったほうが、

 色々と研究できていいですよねぇ)


だれが、身体に不都合があることが

悪いことだと決めたのか、そう教わってきただけ、

それを受け入れてきただけ…


身体に不調や不都合があれば、

それがなくなった時の快適さを味わうことができるし、

また、自分でも施術できるようになる可能性も秘めている。


自分としては、ゆくゆくは、自分で施術できるようになりたいと思う。


それでは、今日はこの辺で

また、明日お会いしましょう。


わたしは、一体何に意識を向けているのか?



常に、後ろ指差されないように、

後ろ指差されないように

後ろ指差されないように

意識を使ってきた。



ということは、自分は、後ろ指差されても

仕方のない人間だ。

と思い込んでいるということじゃない。

と、家内から言われ、そうかもしれない。

と思った。



幼少期から、小学校の高学年ぐらいまで

両親からずいぶん叩かれた。

そのせいかどうかは分からないが、

(とは書いたものの、そのせいだと思う)

人の評価を気にするようになったのでは

ないかと思う。

そんな幼児期に獲得した癖を

54才になった現在、未だに、

同じ思考パターンに基づいて行動している。

ということに気が付いた。

もう、叩く人はいないというのに…



今までは、人の評価を気にしている自分に

気づかずに、無意識のままやっていた。

今日の生活の中を振り返っても

大半が、その考え方の癖に基づいて行動していた。

人の評価が向上することを念頭に行動指針を立てている。

心から、やりたいことをやっていることは少ない。

もうそんな、生活は、止める。と決めた。



今後、そんな行動パターンが出てきた時に、

先ず気づくことから始めようと思う。

やってる、やってる。またやってますね。

いつものパターンですよね。

そう思うのも無理はないですね。

心の癖ですから。

でももう、叩く人はいないので、

そんな考え方は、安心して手放せばいいんだよ。

心配しなくていいからね。



という具合に、気づいて、手放すことを始めたいと思う。



それでは、今日は、この辺で

また、明日お会いしましょう。