ドライフルーツのブログ -14ページ目

ドライフルーツのブログ

ブログの説明を入力します。

これまで、妻に対する言動を振り返れば、失礼の数々、少し…ではなく、大分反省する必要がある。

 

最近では、妻と私の関係を、共依存だと妻本人に口走ってしまった。

 

共依存…考えてみれば、わたしが、依存しているのだった。

妻がわたしから、離れられないように仕向けて、依存しているのだった。

依存の主体は、わたしだ。

 

私が手放せば、依存はなくなる。

手放せ、大丈夫だから、痛みがあれば感じればいい。

何も、命まで取りはしない。

なんと大げさ…

だが、今までの私は、そこにじっとしていることすらできずに、いつも、逃げてきたのだった。

今度こそ、そこにじっと、留まって…痛む心を抱きしめればいい。

それが、今私が一番やらなければならないこと。

そこに留まることが、わたしというあなたに、与えられた使命。

 

共依存には主体、と客体があるように見えるが、実はそれは、主体も客体も一体ということで、私自身で完結できる…

 

依存は、どこから発生するのか、よくよく考えてみると…それは、自分には力がない。という恐れから発生している。

 

勘違いだ。『恐れ』は勘違いなのだ。

だけど、出てくる。出てくる。…出てきた恐れは、じっと、そのままでいて、見つめることで、浄化していくしかない。

 

この世は、どこまでできるかの挑戦ゲーム、急激にやるのではなくって、小林正観さんのだんだん作戦で行けるところまで行けば

いいのじゃないの。

いきなり、私には、無限の力があるとは思えないでしょ。そこがポイント、恐れをどこまで払拭できるか。

 

依存しないとはどういうことか、どこまで出来れば依存していないといえるのか、

 

伊東聖鎬先生は、どうしているのか?

 

それとも、加賀田晃先生のように、考え方だけ…の問題か。

(けっして、考え方だけといえるような簡単なことではないのだが…といって、分かってしまえば、いともたやすいことだろうけ

れど…)

加賀田先生は、営業は、『買ってもらう、ではなく。売ってあげる。』と仰った。

売ってあげるのなら、売ってあげないのも、主体の自由になるということ…

でも、自分が客体とおもっていても、自由になることはできる。

 

自分が主体となって、すべての行動を起こすことだ。私には、無限の可能性がある…

 

自立の一歩を踏み出そう…

 

親への依存、妻への依存、子供への依存、小嶋先生へ依存、伊東先生への依存、会社への依存、全て、私が客体であり、主体である。

だから、自ら断ち切ることができる…

妻への依存の断ち切り方は、妻の自立を支援する。…というと、

 

では、自立とは何か。依存とは何か。ということになる。

 

考え方だけの問題なのか、

加賀田晃先生の方法が参考になるのか。

 

買ってもらうは客体、売ってあげるは、主体。

 

自立を助けてあげる。は主体。

ご飯を作ってもらうは客体。

 

自分には、十分な力があって、ご飯を作ることだってできて、それでも、ある時には作らせてあげる。という主体。

 

同じことをするにも、常に主体として行動することが、自立ではないか。それには、行動が伴ってこそなのだが…

 

夫婦は共同作業、互いに助け合って…なにそれ…やっぱり、頼ってるじゃないの…

共同作業を主体的にする方法だってあるはずだ。

 

喜んでもらえるからやる=客体。

喜ばせたい=客体。

ただ単に、楽しみたい=主体。

 

共同でやることで、人生を楽しみたい。主体。

金を稼ぐ…も共同で楽しみたい。

妻と金儲けでも始めちゃいますか~

 

それでは、今日はこの辺で

また明日お会いしましょう

【マトリックスⅠエンディングより 2:07:50】
聞いてるんだろ。
俺には感じる。お前たちは恐れてる。
俺たちのことを、変化することを。
未来は分らない、この戦いの結末を言うつもりはない。
言いたいのは、戦いがどうはじまるかだ。
この電話を切ったら、隠したがってる世界を、人々に見せよう。
お前たちの存在しない世界だ。
そこは、規則も支配も、境界線もない世界だ。
そこでは、すべたが可能だ。
これから先は、お前たち次第だ。


映画マトリックスⅠのエンディング…
主人公ネオの語り口調…
幕引きのセリフ…


今の会社での生活を、わたしもこのセリフで幕を閉じたい。

今まで…私は、変化することを恐れてた。

…変わることを恐れているのか…
変わりたいと思っているのに、変わることを恐れて、何時までも、いつまでも…
…まして、今は、現場に異動して…
そこは、思いもよらずに居心地がいい場所だった…

変わろうと、一度決めたことなのに…

辞めるって、決めたのじゃないですか?
辞める…と言っているそばから…

辞めて次が決まらなかったら…
辞めて次の給与条件が悪かったら…
次女は今年大学四年、3女は今回、大学受験…

心配事が頭をよぎり…胸を締め付ける…
そんな思考がある…ある…ある…

朝、これを書いている最中…
前から辞めると言っていた仲間が、わたしの所に来て…
一月末に決めた…と報告に来た…
退職届の書き方を教えてほしいと…

そう、そうだった。
これまでも、言いたいことを言ってきた。
そして、これから、言うべきことを言って、決着をつける。

決意が揺らぐのは、どういう理由か?
決めればいいのだ。
もう、すでに決めたのだ。

不安があって決意できないのと、安穏と留まるのは、違う。
今の状況は、安穏と留まっている。
変わらないほうが楽だから、楽を選んでいるんだ。
安穏を選んでいるだけだ。


私が、この世に生まれて来た目的を思い出せ。
何にもない、極楽の世界から、刺激を求めて、来たのではなかったか?
あの世と同じ状況であれば、死んでいるのと同じだ。
生まれた時の目的を思い出せ。

そして、アグレッシブに生きるのだ。
希求しろ。もっと、刺激的な世界を…
飛翔しよう。もっと、刺激のある世界へ…

生きる目的は、もっと、もっと、アクティブだったはずだ。

それでは…ボス猿との全面戦争…やりますか。
現在、エネルギー充填80%…
120%まで…あと少し…

退職が前提。相手が謝っても、わたしは、行く。

いつまでも考えているだけじゃ…人生終わっちゃうよ。


それでは、今日はこの辺で
明日またお会いしましょう。
世の中には、自分の考えを押し付け、相手の話など聞く耳を持たない人が多い
わたしもどちらかというと、そういうところがあるので反省しているのだが…

一方で、こちらが考えた答えを押し付けるのでなく、一緒になって考える姿勢を持った方がいる。

 

昨日、家内と話しているときに伊東聖鎬先生の話題になった。

数年前、家内が伊東先生の主宰されているCWスタッフが書いていたブログを読んだ時の話をしてくれた。

 

伊東先生の近くで生活をされている、あるCWスタッフの娘さんが幼稚園のころ、幼稚園が休みだったのか、その娘さんが伊東先生のところに来られて、『おなかがすいた』と…

すると、伊東先生は、『何が食べたいの…』

子供『ホットケーキが食べたい』

先生『ホットケーキを作るにはどうしたらいいの』

…というやり取りの末、

先生と子供は、まず材料を買いに行って、材料を混ぜてホットケーキを作り…。できたホットケーキを一緒に食べたのだという話だった。

 

 

伊東先生は、こんなに小さな子供にも自分の考えを押し付けたりせず、かといって、出来上がったものを与えるのでもなく、子供と同じ目線になって考えさせ、実際に自分で作って食べる…という。いわば、当たり前のことを当たり前に、子供と同じ立場に立って、一緒にやっていらっしゃった。と…

 

 

それを聞いて、以前わたしが参加した伊東先生のセミナーでのある出来事を思い出し、家内と引き続き話しをした。

 

ある時、セミナーに参加している方で、大きな会社で仕事をされているサラリーマンの方に、その方の仕事について、いろいろと話を聞いていて…

話題の最後の方で『つまらない人生ですね…』と、仰られたことがある。

その方は、『わたしは、会社という組織に属して、どちらかというとやりがいをもって仕事をしている…』と答えられていた。相当に揺さぶられる言葉であったに違いない、それから、その方は、セミナーに参加することはなかった…

 

『伊東先生は、常に問いかけている…のではないかということ』それが家内と話した結論だ。

 

つまり、『それでは、つまらない人生じゃないですか…?本当に、そのままでいいんですか…?』と問いかけているんではないかということ…

しかし、伊東先生から投げかけられた、その言葉に、大抵の人は反応する…

自分が否定されたのではないかと…

(潜在意識の中では…自分が間違っているのではないか…という罪悪感を伴って…)

 

否定されたのではなく…問いかけであったなら…

自分の中で問いかけが起こり、自問自答の末…

それでもやはり、仕事を続けようと言うのか、仕事を止めてしまうのか…

いくつかの選択が出てくると思う…

せっかく、議論を持ち掛けられたのだから、議論を継続することによって、自分が、それまで勝手に常識だと思っていることをぶち壊す機会を狙っている、と…

 

 

伊東先生だから言える、言葉の重み…

伊東先生は、自分の内命声に誠実に従い、何にも縛られない人生を送っておられる。

 

もう一つ、これは12/28にも紹介したyoutubeだが、伊東先生が3'20"頃からしゃべっていることも…

実は、私たちへの問いかけなのだろう…


結構、常識と思っていることを覆してくれますよね…という感想です。


それでは今日はこの辺で
また明日お会いしましょう。







仕事しているから、偉いのか?

遊んでるやつは、ダメなのか?

 

仕事をしている奴はOKで…

遊んでいる奴はNGなのか…

 

いや、この世には、いろいろな役割があって、遊んでいたって、『役に立つ』???ことがある。だから、みんな好きなように生きればいいんだ。

 

と、考えた。

 

賢者テラさんが、以前ブログで書いていていた、働かざるもの食ってちょうだい。

という言葉に…そうだ、そうだ、みんな、やりたいことをやればいいんだ。

と、心より賛同した…

 

 

…と思っていた。

 

 

しかし、実は、…

『働かざるもの食うべからず』という言葉は、わたしの中に、強く、根深く突き刺さっていて…

 

 

働く人を優遇して…

遊んでいる人を心で裁いている…ということをつくづく痛感する

 

 

そもそも…上にも書いているが…遊んでいたって、『役に立つ』ことがある。…と、『役に立つ』という言葉を使っている…ではないか…

(昨日のブログにも、役に立つ…という言葉を使っていた…)

 

『役に立つ』という、言葉自体が何のことかわからない…

いったい、何が役に立つことで…何が役に立たないことなのだろうか…

 

『役に立つ、役に立たない』というのも、見方やタイミングによって、

全く反対になってしまう…

 

人間万事塞翁が馬という故事があるが、

判断を切り取るタイミングによって、

解釈できる意味が、全く反対になってしまう。

 

あることが原因で、怒ったり悲しんだりしたことも…

次の日には、喜んだり、感謝することに変わっている場合だってある…

 

…後から考えれば、あの時、なぜ怒ったのか…

状況が変わったときに、何に、喜んだり感謝したりしているのか…

 

そんなことが自分の中でおこると、

『全く、自分は何をやっているのか…』とあきれることばだ。

 

 

自分の思考に縛られて…

一喜一憂して…

 

 

遊んでいる人が悪いのなら…

この世には何の楽しみもなくなってしまう…

 

スキー場で遊んでいる人は、悪くて、働いている人が良いのか…

レストランで食事をしている人は悪くって、美味しい食事を提供できる人はいいのか…

 

レストランで高級な料理を食べられる人は勝ち組で…

家で納豆しか食べられない人は負け組なのか…

 

健康で働ける人は偉くて…

体が不自由な人はダメなのか…

 

介護する人は、偉くって…

介護される人は、ダメなのか…

 

心に深く突き刺さっている、自分の中の常識…

それは、常識なんかじゃなく、非常識な場合もある。

 

本当にそうなのか…

本当にそれは正しいのか…

 

そもそも『正しいとか間違い』っていうものがこの世に存在するのか…

 

 

いくら考えても、切り取るタイミングによって変わってしまうものなら…

 

 

本当にそれをやったら、楽しいか…

本当にそれが、やりたいことか…

 

で、判断してもよいかもしれない…

 

 

今日は、この辺で

明日またお会いしましょう。

今日も…昨日に引き続き、伊東聖鎬先生のyoutubeと見て、要約してみた。

 

伊東先生の話を聞いて、それをブログに上げようと、それは、所詮、わたしの理解に過ぎない…

 

、が…だからと言って、役に立たないということもないだろう。

 

それが、いまの私の存在理由と考えたい…

 

 

youtube【「脳の情報を読む」ということ↓】




自分が生きていくうえでの不都合がある場合…

 

どうしたらいいかは、脳が知っている。

それを、自分の脳に聞いて、脳が出した答えの通りに、自分の身体に刺激を与え

れば、それが解消する。

わたしたち人間は、本来、そういう脳をもって生まれてきた…

 

病気症状がある場合は、病気の状態が悪いわけではなく、それを単にサインとし

てとらえる。

生きていくうえで、不都合が生じた場合、脳の情報を読んで、脳の言う通りに自分の身体に刺激を与え(調整=アジャストし)てやれば、サインとして出ていた病気症状が消えるようにできている…

 

あるいは、『本来の自分の生き方』から離れて、自分らしくない状態で生きてい

る場合…

『本来の自分の生き方』から離れれば離れるほど、離れているというサインとし

て、病気症状や、その他のトラブルが、自分の周りに起こってくる場合もある。

 

その場合も、脳が出した答えを読んで、調整(アジャスト)を行ってやれば、不都合が解消され、本来の自分が生きる意味の基づいて生きていける場合がある…

 

調整(アジャスト)によって、病気症状として出していたサインが消えるのは、サインを出しておく必要がなくなるからだ…

 

 

伊東先生は、『自分らしく生きる』『自分らしく生きたいっ!!』ということを

求めている人に、自分らしく生きるための自分研究、自分療法の方法指導のための活動を行っている。

 

はじめは、どうやって脳の情報を読んでいいかわからない人に、その相手の脳の情報を読んで、調整(アジャスト)の方法をその人に指導する方法をとっている。その人研究・その人療法である。

 

そして、その指導は、その人が、自分研究・自分療法(=その人がその人らしく

生きる)をやって行きますという人…

そういう、『自分らしい生き方』を求める人を支援していきたいということで、

求めている人を指導している…

 

 

一方、現代の医学や医療は、病気症状が悪いものと見て、その病気・症状を単に

取り去るということをやっている。

 

というと…、医学的処方によって、その病気症状が消えたとしても、その病気症

状をサインとして出している原因…その元の原因を解消していないために、その

病気症状が解消されても、症状を出していたもともとの原因が解消されていない。

そのために、その人の身体は、別のサインを出すことになる…別のサインは、もっと病気症状として、重篤になる可能性もある。

 

あるいは『本来の自分の生き方でないということを知らせるサインであれば』それををわざわざ消す行為となり、本来の自分を求めている人にとっては、返って、迷惑な行為となる。…

 

 

今日はこの辺で…

また明日お会いしましょう。

【youtube読脳法で探った支持骨の意味、必要】

前回、12/25小嶋先生に相談に伺ったとき…話の中で、今、私がやっている読脳法が、伊東先生が開発された読脳法ではなく、わたしが勝手に作り上げた読脳法に陥っているということが分かった。(詳細はps※1)

2~3年前、小嶋先生が主催した小田原のセミナーで、伊東先生に教えていただいたCW的な読脳法ではなく、自分勝手に作り上げた読脳法だといわれたのだ。

 

その話を聞いて、今日まで、自分なりにいろいろと考えてきて、小嶋先生からアドバイスされた選択肢の中で

youtubeにアップされている伊東先生のセミナーを見て基本から勉強しなおしてみようと思いに至った。

 

【今日見たyoutubeで理解できたこと】

 

地球と自分との軸がずれるとトラブルが起こりますよということは、はっきりしている…

 

だから、地球の軸と自分の軸がずれているか調べて欲しい…

それを重力バランス軸という…

 

自分の生きる理由は…

自分が出来た…この世に生まれてきた理由を遡ってみると…

 

ビッグバン以前は、何もない無の世界だった…

 

ビッグバン以降に無から有ができた…

…何で無から有ができたかは…未だにわからない…

…(この世の中の)どの分野にもその答えはない…

 

ビッグバンで出来たチリがぶつかり合って宇宙が生まれ…

宇宙のチリがぶつかり合って、やがて…

地球が生まれた…

 

地球が生まれる意味も理由も必要も地球にはあった(もっている)…

 

じゃあ…自分(わたし)は…何で生まれたのか…

自分が生まれてくる意味・理由・必要もある…

 

それを知ろうと思ったときに…

 

わたしたちは、地球の材料で出来たから…地球は私たちの親だ…

その親の地球が生まれた理由は…無から有ができた…その理由…

必要があって無から有が生まれた…

 

…という理由を持っている地球が…私たちの親だから…

 

そして、その今いる自分は…

地球に重力を支持している…

(支持しているのは…

 立っていれば、立っていて地面に接地している足の支持骨…

 踵骨ショウコツ・第一から第五中足骨チュウソッコツ

 ・第一から第三楔状骨ケツジョウコツ・立方骨リッポウコツ・舟状骨シュウジョウコツ…

 これら11の支持骨を上の骨に伝えるためのベアリング役の距骨キョコツ…)

 

その地球が存在している理由が…

その支持骨を通して、自分の身体の中に入ってくる…

自分の中に入ってきた、地球ができた意味も理由も必要も…

その理由が…

私たちの体に入ってきて、脳に至る…

 

生まれた地球には、最初、生物が存在しなかった…

その中の物質がぶつかり合って…ぶつかり合って…ぶつかり合って…

 

やがて…生き物ができた…

生き物が突然…動き出した…

『なんで自分が動いている訳…何で…何で…何で…』という問いがエネルギーだ…

 

存在する理由を求めている…

存在している理由を求めている…それが…その問い…

その問いが、脳に入った…だから脳は、何で…何で…何で…というシステムなのです…

 

足から入ってきた理由は、脳に至って…何で、何で、何で…とやっても答えが出ない…

 

そこで自分が生まれてきて…

自分探しを始める前に…いろいろなトラブル…

いろいろな体の問題…なんでいじめにあうのか…なんで親が死んで…なんで自分が交通事故にあって…なんで自分の周りでこういうことが起こって…

なんでこういう人が自分の周りに出てきて…

 

その何で…何で…何で…何で…

と脳の中でやる…そうして何で…を脳の中で沢山やることによって…

脳の中でエネルギーが高まる…

 

そして、この何で…何で…何で…という高まったエネルギーが脳ー脊髄ー神経系に入っていって…内臓を動かす、体を動かす…もろもろの身体を動かすエネルギーになるのです…

 

だから…その人の体の動きは…同じような動きをしていたとしても…実は…個人個人…全く違っていて…

その人の動きは…その人個人の…その人の存在の意味そのものなのです…

 

 

 

…それでは、今日はこの辺で…

…また明日お会いしましょう…

 

 

ps

 

        【※1)基本に立ち返るという…思いに至った理由】

        いろいろと自分で自分の身体の不調を施術したり、

        家族…特に家内や次女、三女の体の不調をする中で…

 

        体の不調が脳血管系の脈管機能障害と出た場合に

        伊東先生が開発された、脈管機能障害の場合は

        重力バランス軸であるはずなのに、

        わたしの場合は、立位の支持骨で施術ポイントが出る…

        と小嶋先生に話したところ…

 

        伊東先生が開発された脈管機能障害の施術ポイントであれば

        重力バランス軸(施術の骨が距骨)となるはずだ。

 

        ということは、わたしが行っている読脳法は

        伊東先生の開発されたものではなく、伊東先生の話を聞いて

        私個人が、勝手に作り上げた自己流の読方法だ。

        それで施術に効果があるうちは、それでも良いと思う…

        しかし、もし、行き詰まりが出るようなら一度…

        基本から見直した方が良いのではないかというお話であった。

        そのためには、

        ・伊東先生のセミナーに参加する とか

        ・小嶋先生のセミナーに参加する とか

        ・アップされている伊東先生のセミナーをyoutubeで見る とか

        いくつかの方法を挙げていただいた。…のでした…

あけましておめでとうございます。

 

今日は、元旦。

 

朝7時ごろ…2階の寝室の壁の一部が、少しオレンジ色に染まった…

ベランダ越し海の方に目をやると、海の上にかかった雲を突き抜けて初日が顔を出し、ほぼ全体が見えたころに、最も光り輝く…まばゆい御来光。

 

今日も昨日と同じように…

洗濯をして、風呂を洗って、掃除機をかけ、ご飯を作って…単調な作業の…なんと、たのしい事だろう。

 

今日が。特別な日。

そして毎日が、特別な日。

 

単調の作業の中に楽しさがあり、毎日が、生き生きと、楽しくなる…

 

 

10時半に、近くの神社に出かけ…

次女と三女は、お参りの行列に…

わたしと家内は、行列には並ばず、参道横で、お焚き上げの前のモウセンを敷いた長椅子に腰掛け、燃え盛る炎を見ていた。

 

燃える、燃える、燃料としてくべた直径20センチ以上もある木にも直ぐに火がついて燃え盛っている。

炎は、勢いがいいときには、1m近くも立ち上がり、お焚き上げの周り四隅に立てた笹の柱をぐるりと結んだしめ縄の五平に燃え移り、しめ縄の北側一辺を焼き切ってしまうほどの勢いだ。

 

六所神社と名前の入った白い作務衣を着た大学生ぐらいの齢の男の子2人が、燃料の薪をくべたり、底の方にたまった灰を竹の棒でつついて落とす作業をしていた…

それを見ながら、家内が…

『単調な作業には、上手い下手というのがなくって…ただ、作業するだけだよね…

でも、だんだんコツがつかめてきて…

そして、ただ、作業をする…というのが良いよねぇ…

自分がなくなる…』

 

…そう。ただ、作業する。只、念仏を唱える。只、座禅する。只管打坐…瞑想みたいなようなものだろうか…

 

 

毎年、こうして、年が明け、お正月には、神社が賑わい。

信仰心があろうと、なかろうと、大抵、ご近所の方々も初詣に出かける。

いわば、流行りというか、年中行事。

 

これも、一つの人生の味わいであり暇つぶしだなぁ。と、しみじみ感じる…

 

去年までの私は、なんでも仕事にしてしまっていて、神社に出かけるにも、早く行かないと混んでしまうよ。

家族がもたもたしていると、イライラして、お前らのせいで、混んじゃったじゃないか…

という感じだったが…

今年は、心に少し余裕ができてきた。行って、混んでたら帰ってくればいいかぁ…

 

これも毎日、日課として始めた掃除のおかげで、心に余裕ができたのかもしれない…

これも単調作業の効能か?…

 

 

神社の帰りには、毎年元旦から営業してくれているスーパーヤオマサで、初買い物…

なんと、ブリの厚手の切り身4切れが、破格の300円…

今日の夕飯は、ブリ鍋にしようか…

 

 

ゆっくり、ゆっくり、時間が過ぎて、

7時ごろから、年賀状作り、今年の図柄はどうしよう、家族の写真はどれがいいか…

8時ころには、図案が決まりPCで印刷開始。

 

ここ12年の家内と私の分担は、家内がご飯を作っている間に、わたしがあて名書き。

書きやすいペンタイプの筆ペンで、いただいた年賀状を見ながら、あて名書き。

最近は、文字を書くことが少なくなったため…

たまに書くあて名書きも、書いていて楽しく、ゆったりとした気分になれる…心が落ち着いていく…

文字を書くというのも単調作業なのだろう…

 

 

そうこうしているうちに、ブリ鍋ができてきた…

筆を休め、今年も家族5人で、初夕食…

長女が伊豆でお土産に買ってきた、ペラペラうどんも入れて

味付けは、ダシとメンツユ…

豚肉、白菜、豆腐、スライスもち…

冬は…鍋が暖まりますねぇ…

 

ということで、今日も、いつもと変わらない一日が、過ぎていきました…

 

 

今日は、この辺で

また明日お会いしましょう。

昨日のブログで計画したように

今朝は、改めて、起床時間を早めた。

5:00起床を目指したが、起床したのは6:15だった。

 

出勤している時と同じように、

朝、炊いてもらったご飯でおにぎりを作った。

休みなので、洗濯機を回し、リビングに掃除機をかけた。

 

おにぎりは、

なす、ピーマン、シイタケを切って良く炒め

濃い目に醤油で味付けをして

最後に刻みネギと鰹節を入れてさっと炒めたものを

中に入れて具材として、小さめのを10個作った。

 

家内が、洗濯の終わった洗濯物を干しながら

わたしが作ったおにぎりを3女が喜んで食べたことを

嬉しそうに話してくれた。

 

 

そして、家内のおじさんのエピソードを話してくれた。

わたしの今日の行動は、そのおじさんを思い出したということだった。

 

家内のおじさんは、

金型を製作する会社を経営していて今は70台後半…

40代頃から、金型屋をはじめたようで

それまでは、パンを仕入れてサンドイッチを作り

売り歩いたりと、随分ご苦労されたようだ…

 

金型屋を始めた当初は、

忙しく、夜通し働いた後に

自宅に帰ってきて、皆が寝ている間に朝ご飯を作って

家族を起こし、家族に食べさせ、

そして、また、工場(こうば)に出かける

という生活をされていた。

 

いつも元気な人で、自宅に帰ったときは、

いつも機嫌がよく、持ち前の話上手を生かし

家族を楽しませ、そしてまた、仕事に出かけていく

という生活だったようである。

 

家内も小学校のころ、おじさんの家に遊びに行って

4人のいとことよく遊んだし、おじさんから楽しい話を

聞いたりした。

 

工場にも行ったことがあるが、

工場での仕事の様子と家での様子は全く違って

工場では、真剣そのもの、ミリ、ミクロの精度を扱う金型の

仕事には、子供は入り込む余地がなかったという。

 

 

おじさんは、小さいころから貧乏されて、

お金がなく、食べるものがなく、着るものもないという、

経験をされて来られ、

 

金型屋を初めて、人並みに

お金ができ、食べるもの、着るものが与えられたことに

どれだけ喜びを感じたことだろう、

 

いつも、子供たちと話をしている時は、

どんなに夜通し働いていても、機嫌よく、

子供たちや姪っ子の家内にまで、明くる接し楽しませてくれた。

 

だから、今朝の私の行動を見て、嬉々として、家事をしている姿に、

おじさんのそのころの様子を思い出したと…

 

 

そうか、人に喜ばれるという仕事は、そこが違うんだなぁ…

 

おじさんは、無理やり機嫌よくしていたのではなく、

自然と出てくる笑顔だったのだろう。

 

見習うというものでは、ないとも思うが…

そんな人になりたいと思う…

 

 

苦労している人のすごいところ…

夢がかなったとき…

多少の負荷は、負荷ではなく、返って楽しみになる。

 

 

楽しみになるまで、自分にもある程度の負荷をかけることをしてみよう。

いつも、口元には、笑顔を絶やさず。

楽しんで、楽しんで、楽しんで、やってみよう。

 

 

ポイントは、いつでも機嫌よくやる…こと

 

 

それでは今日はこの辺で…

明日またお会いしましょう。

通っている会社は、26日から冬休みに入った。
今日で、5日目だ。

ここ数日、会社に通勤しているころに比べると、ブログを書くのに時間がかかっている。
通勤している時よりも確実に私的な時間は増えているのだが、通勤している時に比べると、書き終わるまでの時間がかかっている。
だからと言って、書いている内容が充実しているかというと、必ずしもそうでもない。

また、書いている話題も通勤していたときは、ある程度困らないほど、出て来ていたのだが…
休みに入ってからは、さぁて、今日は何を書こうか…と、PCに向かって考えることが多い。


原因が、何点か考えられる…


一つは、会社に通っているときは、毎日決めれた時間の中でパターン化された作業を行っていた。
そして、そのパターン化された時間に拘束されているということが、返って良い方向に影響していたかもしれない…
時間を、きちっと区切っていくことで、ある程度何をする場合でも、効率的に物事を生み出しやすい…

…出勤しているときは、毎日、毎日、繰り返し繰り返しの同じパターンの繰り返しなのだが、その繰り返しが、返ってモノを生み出すためのリズムになっているのだ…

その毎日決められた画一的な時間の中に、自分のやりたいことを、少しずつ負荷をかけて実施することによって、それぞれのことが達成されていく…

少なくとも、私の場合は、そのパターンが当てはまるようだ…

自分にある程度の負荷をかけること…負荷をかけることで、アウトプットが得られる。
負荷をかけなければ、アウトプットが得られにくいという法則があるのかもしれない。
『仕事を頼むなら忙しい人に頼め』という言葉も、そういうことを言いっているのだろう…

自分へ負荷をかける…自分に注文を出す…自分に注文を出しておくと、それが、毎日の画一的な時間の経過とともに着実に達成されていく…というパターンがあるようだ…


…ブログを書き始めて、今日で60日目だが、はじめの10日間ほどは、中々リズムがつかめず、何とか書き上げてきた感があった…
しかし、その後は、リズムというかコツが、なんとなくつかめて来た…

ブログのネタは、大体、朝起きて通勤前に
炊いてもらったご飯で、おにぎりを作っている間、
あるいは、家内と話している中から得られたヒントに基づいて
その話題を、通勤の車の中で音楽を聞きながら考えるともなく考えていて
会社についたと同時に仕事が始まる前10分程度で
ある程度の文章をスマホにブルートゥースキーボードで打ち込んでおく。
家に帰ってから、その内容を文章として整理してアップするというパターンを繰り返していた。
そうすることで、それほど、労力をかけずに書くことができた。

しかし、冬休みに入ってからは、朝、ネタを思いついても、スマホに書き込むこともなく後から書けばいいや…
と思っていても、いざ書く段になると思いついたときのネタは、どこかに消え去っていて…さて何を書こう…
というパターンになっていた。


また、起床時間も通勤しているときは5:00で、
どんなに遅くても、5:40分には起床して、身づくろいをして、昼飯を作り、6:40分には家を出て、会社に7:20分ごろには着き
着替えをして、職場に7:35~7:40には、席について、スマホにブログ記事のプレ版を書き留める。
7:55分には、職場の掃き掃除を開始し、8:00から仕事が始まるというパターンだ。
8:00~10:00作業
10:00~10:10am休憩
10:10~12:05作業
12:05~12:50昼休憩
12:50~15:00作業
15:00~15:10pm休憩
15:10~17:00作業
17:00終業

これに対して、
休みに入ってからは、遅くに起きて、さて今日は何をしようか…というパターンで過ごしてきた。

毎日やると決めた、掃除やブログ書きは、何とかやっているものの、なんとなく間が抜けた感じになっている…

今日などは、起きたのが11:00で、さて今日は何をやろうかと言って…
電気照明の傘を掃除した程度だった…
まあ、こういう日もあってよいが…
なんとなく、自分の生活リズムとして、充実感がないということが実感できた一日だった…


さて…明日からは、また、生活リズムを元に戻すことにしよう。
起床の5:00から始めて、いつものパターンに沿って行動してみることにしよう…
それで何が変わるか…

明日朝から、実験してみることに決めた…


それでは、今日はこの辺で
明日またお会いしましょう

伊東聖鎬先生のセミナーに何度か参加している中で

必ず、話のベースにあるのが『自分が存在する意味』

という言葉だが…

今まで参加したセミナーでは、私の中で左脳的理解に

達していなかった。

 

今日、たまたま、支持骨について

youtubeで伊東聖鎬セイコウ先生が話されている

動画の中で『自分が存在する意味』について話されていた。

 

今回は、動画を通してわたしが理解できた内容について記述する。

 

 

youtube【支持骨の研究ー支持骨はどんな役目をしているのか?】

 





 

宇宙の成り立ち…

ビッグバンと同時に物質ができ…

そのビッグバンでできた物質が元となって、

現在、私たちの体は構成されている

 

そうすると、

ビッグバンと同時に発生した物質の原因…

原因となる元の意味…

つまり、物質の発生した元の意味

更には、その物質で構成されている私たち

人間、一人一人の存在する意味が…

 

宇宙にあり

その宇宙から、その存在する意味が

波動(揺らぎ)として

地球に伝わってきている…

 

その存在する意味が地球の地面を通して

私たち人間の脳に届く

正常に届いていれば

自分を見失うことはないが

正常に届いていない場合

自分を見失ってしまう…

 

自分を見失うというのは

自分の存在する意味を見失うということだ

 

その波動(揺らぎ)=自分が存在する意味が…

宇宙から地球に伝わり

 

立っている場合は、地球に接地している足の骨を通して

わたしたちの脳に、揺らぎとして伝わってくる

しかし、この支持骨のどこかに揺らぎがない場合

 

(支持骨を含め私たちの体を構成している骨や細胞

 全てには、揺らぎがある。

 揺らぎは細かい振動で、その振動方向は、

 上下、前後、左右

 そしてその6軸それぞれの方向を軸とした回転方向への

 振動である。

 これがある場合には、その揺らぎを通して正常に脳に

 宇宙の揺らぎが伝わるのである。

 しかし、どこかに揺らぎがなくなると、そこから先に

 揺らぎが伝達されずに、脳に宇宙の揺らぎが届かなくなる。)

 

そこが原因となって、

揺らぎ=私たちの存在する意味が脳に伝わらなくなるために

自分たちの存在する意味が分からなくなる

つまり自分を見失うということになる

 

【足の支持骨は、下図(足の骨)の中の、

 黄色と青の部分、片足12個の骨である。

  一方、ピンク色の指の骨は、

 体を支えていないことから支持骨ではない。】

 


足の骨


よって、支持骨の一部にでも正常な揺らぎがなくなると、

結果として、宇宙からの揺らぎが、正常に脳に伝わらなくなり

自分を見失うことになる。

 

このように支持骨の一部に揺らぎがなくなったときに

揺らぎがなくなって、脳に正常に存在する意味が伝わりませんよ

というサインとして、身体の病気症状として現れる場合がある。

 

その場合、支持骨の揺らぎを回復してやれば、

その病気症状が解消する。

つまり、サインとして出ていた病気症状が回復するということだ。

 

 

今日はこの辺で

また明日お会いしましょう