ドライフルーツのブログ

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ここの数日間、夜は、2時か3時で、朝が5時か6時に起きる…
正味3.4時間程度の睡眠と記憶している…
わたしが、その記憶に基づいて、いわゆる、睡眠不足…
という、レッテルをはる…

すると、睡眠不足というイメージだけが一人歩きして…
その言葉が、元になり、そのイメージ通りの自分を作り出すのである

しかし、睡眠不足と言う、言葉のイメージは、人によって様々で、ナポレオンなら、睡眠不足と言う言葉の印象は、もっと軽微なものになるかもしれない…

というより、始めに言った3~4時間と、言った時点で、睡眠不足というイメージ自体が出てこないのかもしれず…
かえって、寝すぎ…
というくらい、なのかもしれない。

『言葉は、呪(しゅ)なのだよ。』野村萬斎さん演じる安倍晴明の言葉…
つまり、その言葉が持っている、それぞれの人の印象…
その印象によって、その人は、その呪…
シバリを受けるのである…

ちなみに、私は睡眠不足という呪によって…
元気が出なくなったり、顔が曇ったり…
寝なきゃビョーキになっちゃう…
とか、

いろんなイメージ…
概念に縛られることになる…

しかし、顔の曇りは、筋肉の働きで調整でき…
元気も…やはり筋肉の働きで調整でき…
ビョーキになっちゃうという思いは…
出るに任せて…

明るく過ごしていれば…
睡眠不足にまつわるそれらの思いは、
何処かに雲散霧消してしまうのではなかろうか…

要は、気持ちがダイジということみたいです…

ということで、今日は、にこやかに過ごせました
とさ…
めでたしめでたし

ということで今日はこの辺で
明日またお会いしましょう

久しぶりに、電車に乗って横浜に行った。
11時から、相手の事務所で人に会うためだ…

約束時間の五分前くらいに着くには…
9時半くらいに家を出た方が良かった…

家内と話をしていたら、ついつい出発時間が、
15分ほど遅くなった…

以前の自分なら、あぁー間に合わない…
どうしよう…となるのだが…
今日は、焦らず、落ち着いて出発することができた…

いつもは、過剰反応しすぎなのだ…
予定の時間に出られない状態、
それが五分でも遅れれば、
居ても立っても居られない感じで
どうしようどうしようと、焦ってしまう状態になっていた…

きっと、いつもなら、
家内に『◯◯に出発したかったのに』と言って家内を責めて…
家を出るのも慌てていただろう…

いもの自分なら、そうやって、間に合うはずの時間も、
時間を縮めて、結果的に間に合わずという状況を作り出していた…

今日は、いつも家内に言われている…
『第一のものを第一にしなさいよ。
 その時間に着くことが目的ではなって…
 安全に、そこに着くことが目的だよ…』
 という言葉を頭の中で反芻した。

そういえば、先日のフォロークリフトの事故もそうだった…
定時間が迫っていて…
早く済ませようとして、倉庫の天井高さ約4m程の荷を一遍に運んだ…
その時、荷の最上段が天井に接触して、最上段の箱が、頭の上に落ちてきたのだ…
急いだために、返って時間がかかる状況を作り出してしまった…
急がば回れだった…

今まで、早く早く、一所懸命にやることだけを念頭に
いろいろなものに取り組んできた…
そうやって、時間を縮めてきたのだ…

今日は、焦らずに出られる時間に家を出ることにした…

電車に乗って途中までは、
それでも順調に約束時間に間に合う雰囲気だった…

横浜で乗り換えをして、あと二駅…
予定通り電車にが来れば…

完全に間に合ったが、電車が五分遅れたために、約束ギリギリの時間になった…

しかし、待ち合わせ場所の事務所に行く前に、
コンビニでコーヒーを買って…
先方に到着したのが約束の時間の約4分過ぎだった…

焦らないってことは、
余裕を生み
余裕は、時間を生み出すのだ…

と、感じた…

いつもやってるように
焦って事を成せば、
時間を縮め、余計に手前と時間がかかる…
というのは、もうさんざんやってきた…

これからは、家内の忠告に従って生きたい…
…一つ今日は、成功体験、かな?


ということで、今日はこの辺で
明日またお会いしましょう

長女が職場にあったと言って…
わたしの大好きな映画…
マトリックスの完全セリフ集の本を借りて来てくれた…
マトリックスには名台詞が多く映画のDVDをみては、好きなシーンのセリフを書き起こしたりしていた…

書き起こしには大変な労力がかかるので…
それが完全セリフ集になっているのは、本当にうれしい…
自分としては、かなりの量を書き起こしたつもりでも、実際にはまだまだ書き起こせていないところは多い…

ページをめくれば、直ぐにシーンが思い出され…
涙が出るほどうれしい…


たまたま、先ほど何となくめくっていたページを読んでいたら…

モーフィアスのセリフが飛び込んできた…
『道を知ることと、道を歩くこととは、違う…』


そして、僕は、歩きたい…と思った

体験として落とし込みたい…
小説を読むより…
よりリアルに…
より熱く…
この体験を通して感じ尽くしたい…

子育て、子供憎し、子供と和解ツアーにようこそ…

わたしが、わざわざお金や時間を惜しまずに、やりたかったことだったんですね~ 

あんたも、相当なモノ好きですね~

わざわざ、悩みの種になる、子供を授かって…
お金と時間をかけて、子供を育てて…
しまいにはその子供にバカにされ…
子供を恨み…
疎ましく思い…

そんなことを数年続けて…

いつしか自分から劣等感がなくなったら…

最近は思い出さなかった長女が小さいころの雰囲気が、急に思い出されて、
ほーっという気持ちになり…

長女が小さいころののあどけない表情を見た時の幸せ感を思い出して感じてみたり…


そんなことを、朝、洗車をしながら思い出し書きとってみた…

雨に降られて、車が汚れてみたり…
また洗って、清々しい気持ちになってみたり…

どこまでいっても生活することは繰り返しの中にある…
生活するということは、まさに、道を歩くことに他ならない…

永遠…
永遠の繰り返し…
何が楽しくて、このゲームを始めたのか…

感動を味わいたい…
生きていて…
感動をこそ味わいたい…

しかし、今は、その反対がなければ
感動は味わえないことも最近になって知った…

繰り返しも…
緩急がなければ、楽しみがない…
苦しみがあってこその…
楽しみ…
それを忘れがちなのだ…

車が汚れるから…
綺麗になった時の爽快感がたまらない…

洗車も、あと半分くらい…
また、ピッカピカの車に乗れる…
と思うと…

ありがたい…

車の汚れさんにも…ありがとう

というわけで、そろそろ
洗車にもどりま~す
明日またお会いしましょ
食品でこれを食べたら体に悪いんじゃないか…
という思考そのものが…
体に悪さをするのである…

体に悪そうなもの…
という発想自体が…体に悪いものが、世の中には存在して、
そのものからわたし自身は、害悪を受けてしまうような、
弱っちい体質なんです…
と、告白しているに過ぎない…

むしろ、そんなものは、幻想なのである…

実は、体に悪いのではなくって、その時、
カラダのバランスとしてその食品に反応しているに過ぎない

その時の体調に強く反応する食品も確かにある。
そして、そのことは、実際にそのものを摂取してみて確認することもできる…

だが…アナフィラキシショックの様に、命に関わる場合もあるので、注意は必要だ。

知らずに食べて死んでしまっては、元も子もない…

だから、自分で、自分の反応を見ながら食事をすることも大切だ…

また、自分の身体がどんな食品に強く反応するのかなど…
その時々で変化する自分の身体の状態を方法として

また、自分の身体との対話する一つの手法として
伊東聖鎬先生が開発された筋肉反射テストは有効だ…


そういう意味で、筋肉反射テストで自分の身体の状態を確認しておいて
それが実際そうなっているかを自分のカラダで検証する…

この作業を、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し行っていくうちに

その辺の感覚を磨かれていくことにもなる。

危険を事前に察知したり…
そういった能力を磨いて、経験値をつみあげることによって、
ステージがあがる…
経験を通して…いつの間にか自然と危険を回避したりすることができる様になる…

次のステージが待っているから…
などと欲張らずに…
まず、地道に、筋肉反射テストをして身体の状況を確認繰り返すことである…

そう考えていくと、やはり、抵抗や失敗などは、
その人の成長になくてはならない重要な要素になる…

何かしら、外からの刺激は、必要なのだ。
外からの刺激がなければ、
ただ、漫然と生きていくだけのルーチンを繰り返すことになり、
何の面白みも無くなってしまう…

非日常な出来事が、日常の中に存在するから、
日常に、スパイスが加わるのであって、
何もない日常は、つまらない人生ということになる…

だから、ある一定程度、自分のことが、わかってくれば、
あとは、刺激をわざと作って、人生をより楽しいものに
変化させていくことだって出来るだろう…

まあ、今自分がどんなステージにいるかは知らないが、
自分の体とのコミュニケーションをまずとることから始めたい…

それがいま、わたしのするべき、段階なのだろう…

ということが、わかったところで
今日はこの辺で
また明日お会いしましょう
有給休暇は、何のために取っておいたのか…

それは、自分が常々批判、揶揄してきた…
『何のために、お金を稼ぐんですか…?』という質問に対して…
『なんかあった時のために…
 だって、なんかあった時、有給休暇があった方が、安心できるでしょ…』
という答えに対して…
わたしは、聞きかじりの知識だけで、否定してきたのだ。

なんかあった時の為に、お金を稼ぐ…
なんか有事の事態がなければ、お金を使わない…

そんなことでは、なんかあったときのためでないことでは、
お金を自由に使うことが出来ないじゃない…
という批判だった…

だけど、自分の場合は『有給休暇』をあまり使わずとっておいた…
言葉には出さないまでも、
なんか有事と思えることが起きた時に、とっておきたいということだった…

だから、これまでも目的通りに、有給休暇を使ってきた…
なんか無ければ、お休みしない…

それは、目的通りの有給休暇の使い方であり…
正に、なんかあった時にしか、
その有給休暇は、使えないということになる…

自分の場合だって…
なんかあった時のために、取っておいたじゃないか…
ということに気づいた…

積極的に、そう思っていなくても…
それ以外に考えが浮かばないのでは、それ以外、考えていなかったということ…

それでは、具体的にどんな目的だったら『有給休暇』を楽しく使うことができるだろうか…
と、考えても、すぐには、具体的な希望が出てこない…

・自分の楽しみのために…
・未来のために…
・自分に投資するために…

などなどの楽しみリストを作るのがいいかもしれない…

だって、日頃、仕事、仕事、仕事…と、そればかりに、思考を割いてきた…

ということで、楽しみのリスト作りをしてみることにした…
・たんじゅん農法をやってみる…
・自給自足の楽しい安全、美味しい生活をしていきたい…
・家内と美味しいものを食べに行く…
具体的に落とし込んでいくと、なんかワクワクして来るねぇ…

思えば、何かの楽しみのための計画なんて…
今まで一度も立てたことがなかった…

家内との計画…
一緒にできる楽しみ…

これから、そういうものを計画していきたいと思う…

ということで、今日はこの辺で
また明日お会いしましょう

ps
姉さんは、その昔…おじいさんの勘次郎さんから、
『使わなければ、やらないぞ!』と言って、お金をもらったそうだ…

それを聞いて素直に育った姉は、
お金は、使うものだと受け取って…

自分にとって楽しいことに糸目をつけずに、お金を使うようになった…

今でも、姉の買いもののセンスの良さはピカイチ…
自分が良いと思ったものに、お金の使うという練習をたくさんしてきたからか…

センスの良さはそうやって磨かれたのだろう…

密かに、羨やましい、今日この頃…

勘次郎さんじゃないけれど…
『(有給休暇だって)楽しく使わなきゃ、やらないぞ!』
という声が…
聞こえてきそうです…

今日は、風が強かった…
朝、通勤の車のフロントガラスを通して見る戸外のようすは、
風が木々の枝を大きく揺さぶって…
アラシさながらの様相を呈している…

道行く人は、風に抗して前進しようとして、
歩くのに、だいぶ難儀している…
服は風で体に張り付き、如何にも、大変そうに見える…


でも…
どんなに外に風が吹いていようと、
車の中のわたしには、関係がない…

まるで、
映画館で映画を見ているような感覚…

映画を見ていて、恐怖するように、
外側の様子があまりに激しいと、
車の中のわたしまで、心理的に追い詰められた気分になるのだろうが…

実際には、わたし自身は、
全く被害を被らない場所にいるのである…

そこをわかっていたら、この世には、
恐怖する事など何もないという事になる…

仮に、自分が戸外を歩いていたとしても、
自分自身の本質が雨に濡れることもなく、
強風にさらされて、痛む事もない…

被害にあっているのは、
自分自身の外側の身体…
宇宙服のようなものが…
一時的に、被害を受けるだけで…

実はそれだって、自分自身ではないという事を知ってしまえば…

何が起こっても、納得できないものなど何もない…
という事になる…

まあ、そんな考え方が、いいか、わるいか…
好きか、嫌いか…
あくまでも、趣味の問題だが…

コトに対して…
大騒ぎしてもいいし…
平然としていてもいい…
ただ、上がってくる感情をそのまま感じてもいい…
そのどれにもなれる…

特に、心を騒がすこともなく…
逆に、心が騒いでいる演技をする事だってできる…

あっ、そうか…

伊東聖鎬先生のは…
この世のあらゆる体験をし尽くしたい…
という考えをお持ちだと言っていた…

最後死ぬときは…
熊に襲われて…
手足一本一本はぎとられて…
メンタマくり抜かれて…
ずたずたにされて…
そして死にたいですよね…

命ある限り…
いろんな経験がしたいですよねぇ…

そうか…

…伊東先生が言っているのは、
この肉体がある間に…
あらゆる体験をやり尽くしたい…

なるほどそれは、神の立場なのだろう…
神の立場…

その神というのは、賢者テラさんの言う
二番手の立場のことを言うのだろう…

だって、その体験のために、
私たちはこの世に出てきたんでしょ…


などと、なんとなーく…
わかったところで

今日はこの辺で
また明日お会いしましょう
長女は、小学校の先生になって3年目
だんだん、先生らしさが板について来た…
家に帰ってくると…
家内を相手に、学校での出来事の話をするが…
なかなかどうして、上手い指導をするものだと
感心することもしばしばだ…

次女は、大学の4年生…
国語の高校教師になるために…
教員採用試験のテスト勉強など対応に余念がない…
塾の講師もやっていて、
中学生や高校生に勉強の仕方などを学んでいる…
次女は、もともと読書が好きで…
こと言葉に関しては、なかなか語り…
いちいち論理的な説明を加えたりと…
いかにも高校教師という感じがする…

三女は、今年大学に入学して
さてこれから何になるのだろうか…
教師にはならないと言っていて…
教職課程は取っていない…
三女は、ついこの間まで高校生だったが…
高校時代の感じとしては、中学生といっても
分からないくらい幼い感じに見えた…
しかし、大学に入るや…
不思議なことに大学生という感じになってくる…
そうやって、人は…
節目節目で、変化していく…
着ているものによっても違ってくるのだろうか…
馬子にも衣装である…


さて、人は職業や役どころの名称によって
雰囲気がその職業や役どころに合った感じになる…
人は職業や役どころの名称を模倣するようにできている…

だからと言って、その人の職業や役どころが、
その職業や役どころにそぐわない…
そうない見えない場合がある…

理由が二つはあって、
ひとつは、その人自身の職業に対するイメージが、
その程度のものの場合…

もうひとつは、その人自身の自分に対するイメージが、
自分を否定する方向に働いている場合…

結局は、自分の自分自身への印象によって変化する…
ようするに、自分次第なのだ…

自分の価値感によって、
自分自身の印象や、その後の人生までもが、模倣される…

だから、自分自身に対し充分に
自分の印象をポジティブな方向に高めておいた方がいいに決まっている…

今の自分の周りの環境は、自分の印象そのものということだ…

自分の印象を高くもつことが重要だ…


わたしの場合…

今、そうなっていないということ…

問題は…
自分自身を卑下しているか…
一時的には、良好な状態になったそしても
いつしか良好でない状態に
戻ってしまうということもある…

自分自身が周りの状況に振り回されているのだ…

結局、周りに振り回されないないように踏ん張ること…
負けないことである…

相手が居れば…
相手の言いなりにはならないこと…
結局は、負けそうになる自分自身に負けないこと…

それが、今一番大事なことなのかもしれない…

と、いう事で今日はこの辺で
また明日お会いしましょう

ps
結局のところ、私たちは、
イメージ通りのもの以外には、なりえないという事だ…

レンガ積みしている男に…
そんな仕事つまらない事だと、思わんか?
と聞かれた時、レンガ積みは、答えた…
明日への礎を築いているのだ…

質問した男は、いつしか、自分が
つまらない人生を送る事になっていることに気が付いた…

とさ…チャンチャン!
仕事は、高尚で…
遊びは、低俗…
と、思っていないだろうか…

そう、そう思いこんでいる…

仕事と遊び…
そこに価値の違いがあると、
思いこんでいる…

なぜ、わたしは、仕事は高尚で、
遊びは低俗と捉えてしまっているのか…

仕事は、お金を稼ぐ大切な手段と、考えているから
お金を稼ぐことに大変な価値を置いている…

一方、お金を稼がない、遊びの方は、というと…
大切???なお金を浪費してしまうということで…
ただの娯楽に他ならない…

一転、遊びでも、お金を稼げる遊びになると…
その遊びは、急に価値あるもののように
感じてしまうのは何故なのか…

サッカー選手
野球選手
プロゴルファー
などのスポーツ選手

株やFXなどのプロのトレーダー
(トレーダーにプロとアマの分類が
 あるかどうかは知らないが…)

それらの遊び?は、どちらかといえば
社会的に認知された職業とも思えてしまうのだ…

だからわたし自身、こういったものに価値を認めている…
(という洗脳を受けている…)

やはり、わたしは、
お金を稼ぐということに…
プラス…ポジティブなイメージの思い込みがあり…

お金を浪費…消費することに…
マイナス…ネガティヴなイメージの思い込みを強く持っている…
ということが分かった…

誰から教わったのか…
昔、わたしがそれらの思い込みを受け取ったのは事実だ…

考えてみれば、誰かが消費…
ということをしなければ、
その向こう側の誰かが、お金を得ることは、ありえない…

お金の消費とお金を稼ぐことは、
常に等価で起こるようになっている…

こちら側でお金を使って支払いをし…
向こう側のひとが受け取る…

ただ、そういうことが、常に行われている…
ということに他ならない…

ただそれだけのこと…

そこには、高尚も、低俗もなく…
ただ、水が高きより、低きに流れるごとく…
ただ、淡々と、その活動が行われているにすぎない…

なぜか、わたしはそこに、
価値の多寡をつけたがっているだけの話なのだ…

そう、なんでもかんでも、わたしの癖として
価値の優劣をつける癖を持っているということだ…

価値あることをしたい…
価値ある事…それが何だかわかっていないが…

価値あること…
それが仕事であれば価値ある事と
思い込んでいるために安心できる…

そうやって価値を外付けしないと、
自分には価値が無いと思い込んでいる…
ただそういう劣等意識をもっているだけだ…

一度立ち止まって考えてみることにする…
『本当にそうなのだろうか…』と…

それは、ただそうやってコントロールされている
だけのこと…

よくよく考えていれば…
常に支払う側の人は、常に支払い…
常に受け取る側の人は、常に受け取っている…

わたしは大抵、支払う側にいる…
支払う側の人は、支払っていた方が安心だ…
受け取ることが苦手なのだ…
支払っていれば、自分が安心できる…

変な話だが…
それもコントロールかもしれない…
思うつぼである…

だって、受け取る側は、常に受け取っていないか…
それも当然のごとく…

付け届をする…
お中元お歳暮を出す…
それは常に部下から上司に…
という形になっていて…
上司から部下に付け届をすることは、ほぼない…

これが富める者はますます富み…
貧しきものがますます、搾取される…
の洗脳なのだ…
というよりも、自分自身が思い込んでいる思い込みだ…


受け取ることも練習次第で…
上手くできるようになるだろう…

これからは受け取る練習をするのがいいだろう…
それが、バランスというものだ…

そうだ、これからは受け取る練習をすることにしよう…

というわけで今日はこの辺で
明日またお会いしましょう
お金は、幻想で…
お金が必要なだけ入ってくると、わかっていたら…

誰が汗水たらして…働くだろうか…?
汗水たらして…?

汗水垂らすという言葉自体がネガティヴで…

言葉から来る印象は、
苦渋しながらでないと、お金が稼げない…
という洗脳が含まれているんじゃないか?…

働いたからと言って…
苦渋の汗水など垂らすことなど無いのに…

お金を稼ぐために働くなどと言うと…
…働くこと自体が、嫌なこと…
つまらないこと…
損なこと…
と、
洗脳されているような気がする…

本来、働くことは、人間にとっては、
手放しで楽しいことのはず…
じゃないのかぁ~

ところがどうだ…
『お金を稼ぐために働かなければいけない…』
『お金を稼ぐのは、並大抵な努力では済まされない…』
と、脅されたら…
その途端に…
働くことが、嫌になってくる…

これらの言葉からは…

『並々なら努力をしても
 お金を稼ぐことなどそう容易にはできない…
 その並々ならぬ…血のにじむような努力の結果…
 いくら努力して働いたって報われないことだってある…
 むしろ、報われないことの方が多い…
 運が良ければ、お金を儲けることが出来るかもね…』

こんな印象がココロの中に出来上がる…

と共に…
人は、ねばならぬに縛られると…
人は、いやいややらされているという、やらされ感が出てくきて…
ますます、働くことが嫌になってくる…


メディアに流れる情報…
そこに流れる言葉の端々にも…
人心を惑わし誘導する洗脳が潜んでいる…

人はお金にまつわる情報を聞いて、一喜一憂する…

この状況は、何なのか…
お金にまつわる洗脳は、世の中に、たくさんあり…
それによって、人心が支配される…

第一、お金というものに力を与えすぎなのである…

『お金はあればあるほど良い…』
 私自身も、『そうだよな~』と、ついつい思い込んでいる…
あればあるほど良い…?
などということを、誰が言ったのか…
本当にそうか…
ありすぎることで、困ることだっていくらでも出てくる…

保険会社の宣伝で…
『お金は大事だよ…』などという歌があるがある…
それも、知らず知らずのうちに私たちの脳裏に焼き付いている…

ある面では、お金は大事かもしれないが…
何と比較してという、比較する対象によって…
それだって変化するのだ…
何が何でも、お金がダイジ…
というのも、臨機応変ではない…


世の中にあふれている情報によって、
私たちは、必要以上にお金に力を与えてきた…

お金に力を与え過ぎるから…
お金がある人から支配される…

必要なことは、
お金であれ…
モノであれ…
人であれ…
何でもかでもあればいいというわけではなく…
必要な時に必要なだけ、あれば良いはずなのだ…


また…
『お金を稼ぐために働く』ということ自体が…
間違っている…

『働くこと』と、『お金を稼ぐこと』は、イコールでは無い…

単に、現代社会のシステム…
こうやって働けばお金が入ってくると、
思い込まされている
誰かが作ったシステムに乗っかて仕事をしているというだけで…

必ずしも、その人の働きと、お金を稼ぐ事とは、
直接的に結びついていない…

お金が儲かるシステム…

それは多くの人が信仰している…
いい学校に行って…
いい会社に入って…
上に逆らわず…
とにかく気に入られること…
そうすれば…
出世して…
お金が儲かるようになるよ…

多くの人がそういう信仰持っているために…
現実的にそのように生きている人は…
信仰の通りお金を儲けることが出来ているように見える…

(それと同時に
 社畜としての人生を歩んではいるのだが…)


一方…

幻想であれ…
何であれ…
どうであれ…
お金を稼ぐシステムを作ってしまえば…
そして、そのシステムに乗っかってしまえば…
自然にお金は入って来るようになる…
…のかもしれない…???
しかし、そんなシステムを作ることが本当に必要なことなのだろうか…

必要な時に必要なものが入ってくる…
というのとは、相反する考え方でもある…

そんなシステムを作ってもいないくせに…
何を寝言を言っているんだ…
システムを作ってから言え…
という感じは否めないが…

きっとそんなシステムは、
無限に構築することができるのではないか…
とも、思う…

というよりも…
そんなシステムを構築せずとも…

自分の中心軸が整えば…
否応なしに、必要なものは、必要なだけ…
入ってくるものなのでは無いか…
とも思うのだ…

まず、自分の中心軸を整えること…

お金を含め…
自分の周りにあるものから振り回されないこと…

いろいろなものに振り回された結果が…
今の不安や今の自分の周りの不都合な環境を
作り出しているとも言える…

しかし、周りのものに振り回されていながら
振り回されていることも自分では気が付かないでいる…

しかし、救いは…

振り回されていることに気付きさえすれば…
都合のいいことに…
自分を振り回しているものが
簡単に見つけられるようになっている…

自分がつい興奮してしまうこと…
特に、ネガティヴな感情の生まれるところ…

そこに、自分を振り回している元がある…
そこをよくよく見つめること…


そんな恐ろしいこと…
というところ…

危険な匂いがするところ…

そこに、入り込んで、その中を感じ切る…
堪能することで…
自分を振り回しているものと
調和できのかもしれない…

入る前には、入ったら殺されるかもしれない…
というような恐ろしい場所と感じる…

しかし、そこにこそ…
人生の秘密を解き明かす鍵が隠されている…
という話も聞くのだ…

虎穴に入らずんば虎子を得ず…
の例えもあるように…

怖い怖い…と言いながら…
虎穴に、入って行こうでは無いか…

いや、それは、怖すぎでしょうという場合は仕方が無い…
入れるようになるまで待ちましょう…

たった一度の人生だから勇気を振り絞って…
という話もあるけれど…
人生一度きりでは無い…
という話もある…

どちらも間違いで…
どちらも本当かもしれないが…

まあ、無理せず慌てず…
何時かは、
冒険したくなる時が、来るかもしれない…


それは、今のわたしに、あずかり知らぬこと…


今、正にやりたいことをやっていく、
それで良いんじゃ無かと思う…

いま、やりたい遊びをやっていく…

その遊びが、たまたま、
仕事だったりすることだってあるかもしれない…
それ以外のことだってあるかもしれない…

そう、世の中には、いろんな遊びがある…
そうやって、今やっている遊びをやって行く…

それが、わたしの生きる道…

というわけで今日はこの辺で
また明日お会いしましょう
身体の不調は悪いことだと思い込んでいる…

今日は、小嶋敦先生の勉強会に一か月ぶりに参加してきた…

毎回、発見があるのだが…

今回も、発見があった…
自分の思い込みが大変根深いものだ…
ということはわかった…

身体の不調はサインであり、
自分が自分らしく生きるために
その方向を指示してくれているサインだという

しかし、完全に身体の不調があることが
悪いことだと思い込んでいることが分かった…

だからと言って…
どうすればいいということまでは
答えが出ない…
しかし、自分自身の中で熟考して
自分自身でつかみ取るしか
教わりようのない内容だと思う…



以前も書いたが、
伊東聖鎬先生は、
生システム研究として

1重力バランス軸
 人間は地球上に身体を支えて生きている
 身体の軸のバランスが崩れると、
 脈管機能障害が起こり身体の不調として
 サインとして出してくる…
 
 例えば、脳梗塞系の脈管障害だったり
 心筋梗塞系の脈管障害が起きたりする
 
 その結果として
 脳梗塞や心筋梗塞に至る前に…
 頭痛がしたり、
 歯が痛くなったり
 腕が上がらなくなったり…
 腕の付け根が抜けたり
 足の付け根が抜けたり…
 などということが起きる…
 
 だから、足の抜けや腕の抜け
 あるいは歯の痛みは
 重力バランス軸がずれているという
 単なるサインである…

 そのサインを読み取り
 正しいバランスになるように…
 主に距骨で調整する…
 
2支持骨からのゆらぎ(上昇ライン)
 宇宙に存在するゆらぎ(自分らしさ)が
 足の支持骨から入ってきて身体の内部の要所を通って
 脳に到達する…
 ゆらぎ(自分らしさ)が脳に正常に到達すると
 自分らしく生きられる基礎ができる…

 正しく足の支持骨からゆらぎが入ってくれば
 ゆらぎ(自分らしさ)が脳まで到達するが…
 
 支持骨からゆらぎが正常に入ってこない場合には…
 ゆらぎが正常に脳まで到達しないために
 身体に不調が生ずる場合がある…

 その場合には、どの支持骨が原因でゆらぎが
 脳に到達しないのか読み取り

 その支持骨を調整する…
 足の支持骨は、第一から第5までの中足骨
 第一から第三楔状骨
 立方骨
 舟状骨 
 踵骨 

3脳神経エネルギー
 脳に到達したゆらぎ(自分らしさが)が
 脳から今度は…
 下降ラインに沿って、各器官各臓器に分配され
 自分らしさの動きの基礎となる…

 しかし、このラインに障害があれば
 ゆらぎが各器官各臓器にスムーズに分配されないために
 身体に不調が生ずる場合がある…
 
 その場合には…
 後頭骨
 頸椎一番から七番までの骨で調整する…

 言葉で書くと、ざっとこんな感じだが…


 実際には、サインは、身体の症状となって現れる…

 例えば、現在でもわたしの場合は、
 右腕が付け根が抜けている(亜脱臼している)
 
 聞き方としてついやってしまいがちなのが、
 右腕の付け根が抜けないようにするポイントは何か 
 ということである…

 しかし、どうも小嶋先生の場合は違うよなのだ…

 その人がその人らしく生きるには…
 ということを前提に聞くというのである…

 その結果として、最終的にサインとして出ている
 症状が消えないことも出て来るかもしれないということなのだ…

 しかし、消えないことがその人らしく生きるために
 必要なことであれば、それはそれで良いという考え方である…

 
 
 わたしの場合は、そこまで未だ自分の中に落とし込めていない…

 症状が消えることが大前提として刷り込まれてしまっている
 その人がその人らしく生きられるには…というよりも…
 その痛みや身体の不調を取らなければ意味がない…
 という思い込みがあり…

 その時には既に
 わたしが私らしく生きるためという考えに基づいていない…
 とにかく、身体の不調を悪とみてその不調を取り除く…
 という方面に没頭してしまうのだ…

 症状に基づいて…
 わたしが私らしく生きるためのポイントをだす…
 
 そもそも、私が私らしく…
 というところが、分かっていない…

 そこのところはちょっと宿題だ…

 どう考えたらわかるだろうか…
 どうすればいいということまでは答えが出ない…

 冒頭書いたように…
 
 自分が自分らしく生きる…ということは
 
 自分自身の中で熟考して
 自分自身でつかみ取るしか
 教わりようのない内容なのだと思う…


 というわけで今日はこの辺で
 また明日お会いしましょう…