凱旋門観光後はルーブル美術館へ。凱旋門からルーヴル美術館は約3.6kmで歩いて行けないこともないのですが、雨だったのと凱旋門を登って疲れたので、コンコルド広場までメトロで行くことにしました。
凱旋門の真下にある「シャルル・ドゴール・エトワール駅(Charles de Gaulle – Étoile)」
メトロ1号線に乗ります。
コンコルド広場(Place de la Concorde)
コンコルド広場は、パリ8区にある広場で、パリの中心部であるチュイルリー公園とシャンゼリゼ通りに挟まれており、オベリスク(記念碑)が建つ広場です。
コンコルド広場の中心部にあるオベリスクは、1836年にエジプトのルクソール神殿から運ばれてきた「Luxor Obelisk(クレオパトラの針)」です。オベリスクそのものが建立されたのは紀元前13世紀、ラムセス2世時代の古代都市テーベ(現在のルクソール)です。つまりパリで一番古いモニュメントになります。ルクソール宮殿はエジプトで現存しており、同宮殿にはコンコルド広場のオベリスクと対だったもう1本のオベリスクが、今も残っています。
コンコルド広場は、ルイ15世の時代1755年アンジュ=ジャック・ガブリエルによって設計されました。コンコルド広場は、当初ルイ15世の騎馬像が設置されていたので「ルイ15世広場」と呼ばれていましたが、その後、フランス革命勃発により、騎馬像は取り払われ「革命広場」に改められました。
そしてフランス革命中、コンコルド広場は処刑を行う刑場になり、騎馬像があった場所にはギロチン台が置かれ、ルイ16世、マリー・アントワネットもこの広場で処刑(斬首)されました。
コンコルド広場で処刑されたのは、マリー・アントワネットやルイ16世だけではなく、1300人以上の当時市民派と相容れなかった人々が、この場所で無残な最期を遂げています。
ルイ16世とマリー・アントワネットが処刑されて後、ナポレオンによる立憲政治や恐怖政治、ルイ18世により再び王制復古などを経験して、革命広場は1795年に「調和」の意味を持つ「コンコルド広場」と呼ばれるようになりました。
7月14日はフランスで「フランス革命記念日」となっており、毎年フランス軍隊によるパレードが行われます。凱旋門から始まるこのパレードは、シャンゼリゼ通りを行進し最終的には、多くの王制派が犠牲となったコンコルド広場で終結します。
噴水は、バチカンのサン・ ピエトロ広場にある噴水を模して造られたものだと言われています。
シャンゼリゼ大通り
ルーヴル美術館とコンコルド広場の間にある「チュイルリー庭園(Jardin des Tuileries)」
チュイルリー庭園は、かつてルーヴル美術館の西側にあったチュイルリー宮殿の庭として、ヴェルサイユ宮殿の庭園を設計した造園家ル・ ノートルが設計した庭園です。
ここは15世紀までは近くに住む食肉業者のゴミ捨て場になっていました。「チュイルリー」とは、「瓦工場」という意味で、公園の土は瓦焼きの窯に使われていました。ここに王妃カトリーヌ・ド・メディシスが「チュイルリー宮殿」とイタリア式庭園を造らせます。
庭園は結婚式、レセプション、セレブなパーティーなどの会場となりました。その後一般人にも公園が解放されますが、ハイソなメンバーだけが入ることを許されていました。
ルイ14世はベルサイユ宮殿の庭を造園した庭師、ル・ノートルにこの庭を再設計させます。チュイルリー宮殿はベルサイユ宮殿に移った後廃墟となりましたが、革命後はナポレオンが王宮として使っていました。1862年、ジュ・ド・ポーム国立美術館が建設されます。
およそ25ヘクタールある庭園は、典型的なフランス式庭園で、広い散歩道が中央にあり、ロダンやジャコメッティ、マイヨールなど、有名な芸術家たちの彫像、四季折々の花が咲く花壇や、八角形の池などが配置されています。
公園内には、モネの睡蓮で有名な「オランジュリー美術館」や、現代写真の企画展を観ることができる「ジュ・ド・ポーム国立美術館」があります。
ルーヴル美術館側の入口ある「カルーゼル凱旋門(Arc de Triomphe du Carrousel)」
カルーゼル凱旋門は、チュイルリー庭園の東側、カルーゼル広場にあるナポレオンが最初に建てた元祖凱旋門です。1805年のナポレオンの勝利を記念して、ナポレオンの命により1806年~1808年にかけて作られた門です。
デザインはペルシェとフォンティーヌ、ルーヴル美術館の初代館長だったドノンが建築を担当しました。わずか2年で建てられたカルーゼル凱旋門は、高さ19m、幅23m、奥行7.3m、3つのアーチとピンクや白など8本のバラ色の大理石の柱から構成され、優美な姿の門となっています。
戦勝記念碑としてはあまりにも小さい姿に不満を抱いたナポレオンが建て直させたのがエトワール凱旋門です。エトワール凱旋門は約30年かけて造られ、高さが約50mもあり風格と威厳を現し、フランス栄光の象徴として堂々たる姿を見せています。
門の上には、ナポレオンがヴェネツィアから奪ってきた4頭の古代の馬のブロンズ像が飾られていましたが、ナポレオンの没落後の1815年にヴェネツィアに返還され、1906年にボシオ作のコピーに置き換えられました。