「不平を言ってはいけません」。これもマハリシの人生の九カ条の一つです。

人生には良いこともあれば悪いこともあります。これら良いことも悪いこともすべては自分の責任です。過去の自分の行動の影響がかえってきているだけです。なので、何か自分にとって不都合なことが起こった場合、他人を責めて不平を言うより、すべては自分の責任として静かに受け止めることが大切です。なかなか実践するのは大変ですが……。

他の九カ条もそうですが、この原則もまた自分の心を否定性で汚さないためにあるような気がします。誰かに対して不満に思うということは、自分の心と体を汚してしまうことになります。特に、相手に非がある場合には、どうしても相手を責めてる気持ちが出てきますが、そうした気持ちも、自分を否定性に埋没させてしまうだけです。

何が起ころうとも、自分の責任だと思えば「しかないな」と思って諦めることができます。しかし、相手が悪いと思うと、くやしくさのあまり、なかなか忘れることができません。ですから、否定性から自分を守るためにも、まわりの人のせいにしないということが大切ですね。

嫌なことがおこったとき、誰かに不満を感じてしまうのもしかたないでしょう。でもこのマハリシの言葉「不平を言ってはいけません。すべては自分に責任があります」を思いだせば、いつまでもそれに巻き込まれることもなくなります。「誰かに不満をもっても、自分の心を汚すだけで自分に何もよいことはない。すべてを自分の責任として受け入れることで自然の支援が得られる」と思えるようになってきます。

こうしたマハリシの教えは、どんな否定的な環境の中にあっても、自分自身の心の平安を維持する助けとなります。

「TMは私をユダヤ教から引き離しませんでした。
 むしろ私をユダヤ教へ導き戻してくれたのです。」


マイケル・シェヴァック(ユダヤ教の聖職者)
ペンシルヴァニア州ポイントプレザント
バックス・カンティ・フリー・シナゴーグのラビ 

Michael Shevack Photo Original Web Readyユダヤ教の聖職者(ラビ)として、私は、超越瞑想の実践と私の宗教であるユダヤ教の実践との関係についてお話したいと思います。

よくある誤解に、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった多くの宗教において、超越瞑想はヒンドゥ教の礼拝の一種で、したがって異教だ、という考え方があります。

私は17歳の頃からTMを実習し始めて、現在55歳ですが、私の経験から、このような考えは間違っていて、明らかに正しくないと断言できます。最初、私はストレス解消の手法としてTMに興味を持ちました。そして、TMに関する数多くの研究結果を見て驚きを感じました。TMがストレスや血圧を減少させ、精神的にも身体的にも幸福感を高めることが明確に示されていたからです。しかし、TMを実習するにつれて、これらの効果は副産物にしか過ぎないということがわかりました。

日を重ねるごとに、瞑想を重ねるごとに、心が深い精神的な体験へと開かれていくことに気づいたからです。このような体験は、世俗的な世界で得られるものではありませんし、他の宗教に属するものでもありません。

こうした精神的な体験は、毎日の実際生活に深く根ざしたものであり、私の日々のユダヤ教の実践とも統合し始めました。TMは、私の直感的な洞察力と理解力を向上させ、ユダヤ教の実践を意義あるものにする助けとなりました。そして、私の信仰を更に生き生きとさせ、力強いものにしてくれました。

数十年前、私は偶然あるマハリシの言葉に出会いました。「瞑想するにつれて、あなたは生まれたときからの自分の宗教を自発的に理解するようになるでしょう」。この言葉は真実であると証明できます。瞑想すればするほど、自分自身の内側で、宗教的な慣習、伝統、教理、実践がより深まっていくのを感じました。

TMは私をユダヤ教から引き離しませんでした。むしろ私をユダヤ教へ導き戻してくれたのです。そして私の理解力を高め、精神的な体験を深め、すばらしい愛と献身の心をもたらしてくれました。

ですから私は、TMを多くのユダヤ人にすすめてきました。そして私の同胞だけでなく、キリスト教徒とイスラム教徒を含む、真理の探究者たち全員にすすめています。私の経験から、TMについては何も不安はないと言うことができます。TMをすると、キリスト教徒なら、ますますキリスト教徒になります。ユダヤ教徒なら、ますますユダヤ教徒になり、イスラム教徒なら、ますますイスラム教徒になります。TMを通して自分の信仰への理解が増すと、他の宗教を探し求めなくなります。自分の宗教で満たされてくるからです。

最後に、宗教間の対話のリーダーとして、私は世界中のすばらしい宗教家の方々と対話してきましたが、TMによって、精神的な理解と体験を共有する道が開かれるだろうと信じています。TMは、すべての宗教が基盤としている普遍的で精神的な土台を活性化させ、宗教間における互いへの敬意と理解を高めることでしょう。つまりTMは、平和に到るための、速くて効果的で万人向けの方法なのです。
「メリーゴーランドのように人生は上がったり下がったりします。あるときは順調で、あるときはうまくいかないこともあるでしょう。人それぞれ進化の度合は異なりますが、進化のどの地点にいても何かしら生きる喜びがあるものです。」

これは、あるビデオの中でマハリシが話していたことでです。思い出しながら書いたので、あまり正確ではないかもしれませんが……。この言葉は私の心にとても印象深く残っています。

私たちはよく啓発したら、宇宙意識に至ったら、問題を起こすこともなく幸せに暮らしていけると思ってしまいがちです。まだ啓発に至っていないから苦しみがあると……。しかし、この地球上のすべての生命は、ほとんど進化の途上にあって啓発してはいません。ですから進化の途上にあることは普通のことであって、悪いことではないはずです。

人の一生を考えてみても、若いときには常に成長している喜びがあり、結婚して家庭をもてば子供を育てる喜びがあり、仕事につけば社会の中で何かを達成する喜びがあります。年齢とともに人生経験も増してくれば、それを生かす喜びがあります。このように、人生のどの段階にも、何らかの喜びがあるものです。

それぞれの段階で、生きる喜びを見いだすときに、次の段階へと進むことができるような気がします。今ここにある喜びを見つけて、一歩一歩楽しみながら、進化の階段を昇っていきたいものです。