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瞑想中に、純粋意識を体験することは、ちょうど心の故郷に帰るようなものです。自分の家に戻ってきたような、安心感や寛ぎを感じます。そして規則的な瞑想によって純粋意識の体験が定着してくると、どこに行っても、自分の家にいるような、心の安らぎと落ち着きが維持されるようになるのです。このことを「自分が帰るべき家を見つけた」と美しく表現した、瞑想者の体験談をご紹介いたします。

私の帰る家
寺島裕子さん、埼玉、TM歴4年

私は自分のことをずっと捨てられた子供のように感じていた。
本当はこんなところにいるはずじゃないのにと、
ずっと思っていた。
誰にも本当のことを言えなかった。
ここに存在していること自体いつも信じられなかった。

帰りたいといつも思っていた。
帰るところがあるのは知っていた。
自分が誰なのか本当は知っているような気がしていた。
でも、どうやって帰れるのかわからなかった。
この世がどんなふうに出来ているのか、本当は知っているような気がしていた。
でも、誰にも言えなかった。
自分の内側と外側の世界があまりにも違いすぎて、どうしていいのかわからなかった。
いつも心と体が引きちぎられている感じがしていた。

一刻も早く終わりにしたいとそればかり願っていた。
でも、ここでの仕事を終えなければならないことも知っていた。

私はいつも家に帰る道を探していた。
断片のようなものがたまに見つかることはあった。
けれど、それらは人間の限られた思考が入り過ぎていたり、
切り口の角度が狭すぎていて、全体の地図ではなかった。

私は自分の中にすべてがあることを感じていた。
外側の世界に何かを求めても、自分の欲しいものは何もないと感じていた。

私は自分の限られた思考が全く信じられなかったので、
自分の内側や見えない者の指示だけに従うようにした。

彼らはいつも私を導いた。
彼らは私が必要な時に必要なことをするように常に指示を与えてくれた。
私は彼らなしでは何ひとつできない。
そして私はここにいる。

私は現実界において、家に帰る道を見つけた。
彼らがここまで私の手を取って連れてきてくれたのだ。
やっと私は帰るべき家を見つけた。
長い間、本当に長い間、探し続けてきた私の家。
家の灯りが見えている。
それがどんなに遠くに見えていても、私は見つけたのだ。
もうそこに向かって歩いて行くだけだ。

私はもう自分のことを捨てられた子供のように感じなくてもいいのだ。
家の灯りを見つけた途端、私の中にも灯りがともったのを感じた。
これがどれ程のことか、誰かわかってくれるだろうか。

ヴェーダの知識は私の中にいつもあった。
それらを何と呼べばいいのかわからなかったけど。
この世を創造し、進化させているシステム、
それらに従って仕事を遂行している者たち。

目には見えなかったけど、確かに感じていた。
言葉にして説明できなかったけれど、確かに感じていた。
そのシステムはとても精妙に出来ていて、驚くべきもの。

ヴェーダの知識は
自分が今まで感じていたことが全部本当にあるのだと、
本当にそのように出来ているのだと、
今まで誰にも言えなかった自分の内側の世界を
この世において確かに形ある現実のものとして私に見せてくれた。

ああ、やっぱりそうだったんだ、と。
私の妄想ではなかったんだ、と。
どんなに人から受け入れられようとも、
これほど自分を肯定してもらえることはないだろう。

帰る家が見つかった私はもう無敵。
何より先に純粋意識を求めよう。
順序を間違えてはならない。
すべてはそこから始まる。
私たちはいつも目にしている物質的な世界は、相対的な世界です。大きなレベルから小さなレベルまで、様々なレベルがあります。より美しいもの、より美しいものがあり、またより醜いもの、より醜いものがあります。

そして、私たちが美しいものに目を向けるか、醜いものに目を向けるかは、私たち次第です。毎日の規則的なプログラムによって、私たちの知覚能力は成長していきます。知覚能力が成長するとは、対象のより美しい価値、より豊かな価値を認識できるようになっていくということです。つまり、世界は全く同じであっても、認識能力が高まることで、私たちが目にしている世界はより美しく、豊かなものになっていきます。

現在の日本は多くの問題を抱えており、この世界は苦しみに満ちてると思えるかもしれません。しかしそれは、国民の集合意識にストレスがたまっていて、社会の問題ばかりに注意が向いてしまうからでしょう。グループで瞑想して、社会全体のストレスを取り除いていけば、「日本には美しいところ、素晴らしいところがまだまだいっぱいある」と感じられるようになると思います。
他の人のよい質を見ることで、相手だけでなく、自分や周りの環境の中にもその良い質が成長する、と昨日ブログで書きました。これは「リーダーシップの技術」というビデオの中で、マハリシが話していたことです。私たちが他の人のよい質を見るというたった一つの行為が、その質を何倍にも増やすことができる、ということでした。

そして、このビデオの中でマハリシはもう一つ大切なポイントを上げていました。それは、他の人のよくない質に注意をとりあげると、そのよくない質が私たちの心の中に入ってきてしまう、ということです。その結果、私たちは自分の心と体を汚すことになってしまいます。ですから、マハリシは「他の人の良いところを見ることは、自分自身のためでもある」と話しています。他の人のよくない側面に目を向けないことで、他の人の否定性から自分自身を守ることができるのです。

しかし「他の人のよいところ見よう」といくら意図しても、疲れてストレスがたまってくれば、ついつい物事の悪い側面の方に目が向いてしまうものです。ですから、まず第一に、毎日の規則的な瞑想によって、根深いストレスを取り除いていくことが大切です。そして、純粋意識という無限の至福が定着してくれば、その至福を通して、外側の世界をよりよく認識できるようになっていきます。やはり、何事も毎日のプログラムが基盤ですね。