カレーうどん 392
隣の芝生は青く見える、と言うのは、言いえて妙と
いわざるを得ない。と、言うことは、隣の人の隣たる
ぼくの芝生は青く見えていることになる。これは愉快
なことである。本人のぼくは、芝刈りもせず、あっちこ
っち地面がのぞいてる、みすぼらしい我が芝生を、恥
じることがあっても、自慢しようとはつゆ思わず、しみ
じみ諦観の思いで打ち捨てていたのであるが、隣人
には、うらやむほどの代物に見えるとは、人間心理の
文とでもいうべきものなのであろくか。
話が跳ぶ。かねがね、ぼくは、自分自身を詰まらな
い奴だと自嘲している。これは本当のことである。決
して卑下ではない。と言うのは、長年ぼくじしんを生き
てきて、つくづく愛想が尽きてきたのである。実に人間
が卑小だ。あまりにも恥ずかしいことなどで、多くを披
瀝できないが、けち臭いのである。例をだそう。この間、
スーパーで買い物をした折、一万円札をだし、何がし
かのお釣りをもらった。車に帰り、レシートとお釣りを勘
定したら十円不足しているのである。どうしようかと思案
したが、どうにも我慢が出来ず、レジに抗議に行った。
大勢のお客さんがレジに並ぶ中、十円不足している旨
促すと、当店のレジスターは最新のもので、お釣りを間
違うことはない、と山田さんは述べた。ポケットに残って
いませんか、と言われ、念のためポケットをまさぐると、
奥のほうに十円があった。ことほどさように、ぼくという
人間は、小さい男なのである。赤面の至りである。