門松 64
年の夜の夢に入りたる山の雨 森 澄雄
はなから、お金の話で恐縮である。
日本人の中には、公衆の前でお金の話をすることを忌む傾向が
あるやに認識しているが、これは江戸時代の身分制度のしからし
むる結果で、その時代、武士は、おおむね貧しかった。身分的には、
はるかに劣る商人のほうが、お金を持ち、豊かな生活をしていたが、
お金持ちだからと云って社会的には、尊敬を得られなかった。貧困
な下級武士のほうが尊敬を得られたのである。
一方、キリスト教文化圏においては、聖書にあるように、お金もち
が天国にいけるのは、ラクダが針のあなを通りぬけるより困難で
あると書かれているように、これまたお金持ちに差別的言辞が見
受けられるが、プロテスタントなんかの聖書解釈では異なるようで
ある。つまり、お金を得られるのを、隣人愛の実践だと解釈をする
のだそうだ。皆さんが喜んでくれるような商品をつくるから、お金を
得られるのだから、それが隣人愛ということになるのだそうだ。結
果としてお金を得るのは歓迎されるが、お金を得ることが目的にな
る行為は許されないらしい。だが、お金持ちはそれだけでは、社会
的な尊敬をえられない。したがって、社会的成功者は、お金を慈善
団体に寄付したり、貧困に喘ぐ子供達を養子にしなければならない。
映画スターなどの有名人などがよくしている行為がそうである。日本
の金持ちは、そんなことはしない。子孫に美田を残すのみである。