独り言    1月15日-3-45-45 | はなのブログ

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門松    45
   薄倖の字の美しき賀状かな   五十嵐 播水
 
僧侶は元来妻帯しないものであるが、どういうわけか日本では
どうゆうわけか、大半の僧侶が結婚をしているし、なかには愛人
を囲っている、不埒ななまぐさ坊主さえいるそうだ。
 余談になるが、ぼくの友人の友人が僧侶であるが、かれは関心
にも生涯独身を貫いた。貫いたと、というのは、昨年かれは黄泉
の住人になったわけなのである。電話で、友人から知らされ、一
度しか会ったことがなかったが、楽しい人であった。友人が次に
発した言葉には腰を抜かした。「少しはやかったけど、思い残す
ことはないだろう。悲願だった百人切りも果たせたようだし~」お
いおい、なにを云うんだ。かれは僧侶だろ。百人切りは、それは
ないじぇ!。
 日本の僧侶で、公然と妻帯したのは、親鸞をもって嚆矢とする
が、あの話も何だかおかしな話だ。親鸞の夢枕に聖徳太子が出
てきて、妻帯の許可がでたらしいが、僧侶の世界に、偉い人かも
しれないが朝廷の人が夢に出てきて妻帯をゆるしていいのだろう
か。お釈迦差ならわかるが。
 そして、最近の暦学の研究では、聖徳太子は存在しなかったと
いう説もある。こうなれば、なにがなんだか面妖なかぎりである。
 もっとおかしいのは、浄土真宗の僧侶の妻帯は認めるしても、
他宗派の僧侶の妻帯の根拠たるや、なんと明治政府の許可らし
いのである。宗教世界に身を投じる以上、俗世権力の介入の排
除をはかるべきものを、俗世権力ないしは、権威をかりてまで妻
帯がしたいとは、日本に宗教がない、と言われてもしかたがない。