門松 37
弾初めにことし欠けたる一人かな 久保田 万太郎
日本人にとって仕事とは何であろうか。これはゆゆしき問題であ
る。世界中の全ての人が仕事を同じように考えていると思うとおお
きな錯誤が生じる。たとえば、日本では窓際族なる、あえていうな
らば蔑称があるが、これは他国のいては、はなはだ愉快な状態と
云わざるべきと思い定める人々もいる。そうではないか、ほとんど
するべき用事もなくただぶらぶらしているだけでお足をいただける
のだから、なるほど考えるまでもなく、結構な身分と言わざるを得
ないと思いたいのであるが、こと日本においてはそうではないので
ある。
そもそも、日本においては、仕事とはただ賃金をいただければそ
れで宜しいとうことではない。職場は単に大勢の人が寄せ集まった
集団にすぎないのではなく、すでに協同体として機能しているので
あるからして、そのなかの一員としては、たんに賃金をもらえば満
足をするかと思えば、そうはいかないのである。存在理由がなけれ
ばいごこちが悪いのである。協同体というのは強い結束で結ばれ
ているからにして、自分のそんざいが協同体にとって邪魔な存在で
あるならば、苦痛を感じざるをえない。これがアメリカなどのような、
機能集団であるならば、なんの痛痒もかんじなくてすむのであり、む
しろ快適に感じろ野であるが、協同体を構成している日本の会社は
そうにならない。存在利湯がなければ苦痛に感じるのである。