梨と支那 594
声とならぬ言葉をついに吞みくだす「寂しいときは私を抱いて」
歌人 道浦 母都子
今夜の食事は餃子でした。困ったときの餃子だんな。カレーとか
餃子は、いつ食べてもほぼ美味しい。食事によると、時と場合によ
れば食べるのを躊躇せざるを得ないものもある。たとえば二日焼
肉というのは、ちょっと困る。冷やしそうめんも連ちゃんはゴメンで
ある。おでんは大好きであるが、これも二日三日にわたって食する
のはへきへきする。すき焼きも翌日は、ぼくはダメで、よめはんが食
べてるらしい。しかし先日の朝、すき焼きののこりものをご飯に乗せ
て、つまりすき焼き丼にして食べているのを見て、美味そうに思った。
生卵なんかを混ぜて食べたらいけるんじゃないか。今度は食べてみ
よう。
俳句、短歌、自由律、現代詩など、いわゆる詩というものは、いい
ものですな。何気ない一言で、言葉の力というものを感じる。道浦さ
んは大好きな歌人だが、上記の短歌も、寂しいときは私を抱いて、の
下七七は、上の声とならぬ言葉をついに吞みくだし、の五七五がある
から光ってくるんですな。上の五七五が甘いとつまらない短歌になっ
てしまうのです。悪い例を詠んでみますね。
頬杖をついて故郷を思いだす「寂しいときは私を抱いて」これ駄作で
すね。上の五七五と下七七が近すぎます。したがって下七七が曇って
います。詩は作るより、鑑賞するに如かずですな。