梨と支那 573
涙じゃないのよ 浮気な雨に ちょっぴりこの頬 濡ら
しただけさ ここは地の果てアルジェリア♪
日本人にとって、仕事とは如何なるものであるか、かねてより
疑念があった。
小生も、学校を卒業以来、職業は何度か変わったが、仕事そ
のものはずっと続けている。知人の中には、失業保険をもらい、
のんびりしなきゃ、と言う奴もいたが、小生はそれが出来ない。
職場がないと不安でいたたまれない気分になるのである。
かと言って、まじめな仕事好きというのでもない。いやな仕事
もしてきたし、小生より何倍も働いている人も知っている。
幸い現在は仕事をしているが、いつ失うかと言う不安がある。
生意気なことを言うようだが、お金の問題ではない。仕事を失う
と、社会とのつながりが喪失してしまうのではないか、と言う恐れ
である。
本日、いつものごとく読書をしていた。著者は岸田秀の哀しみと
いう感情と言う本である。この本を読んでいるうちに積年の疑問が
氷解したのである。
そもそもキリスト教の欧米では神との関係で個人の自我の位置
づけが決まる。そして、労働は、聖書の楽園追放の物語にあるよう
に、神に逆らった罰であり、近代の労働は、ウェーバーが説くように、
神への奉仕を起源としているが、会社が共同体である日本では、個
人は、会社に勤めた場合、労働を介してこの共同体に自我を関係づ
けることによって自我を位置づけ、安定させることになることが多い。
したがって、日本人と欧米人とでは会社とか労働とかの意味が異な
るのである。