梨と支那 557
私が、自同律の不快と呼んでいたもの、それをいまは
語るべきか。
さて、自然は自然に於いて衰退することはあるまい。
埴谷雄高著 不条理ゆえに吾信ずーより
水曜日は、いつものように徳島の事務所に行く日である。
よく飽きないものだと思うが、仕事に飽きるわけにはいかな
い。いや、本心は飽き飽きしているのだが、飽きていないフ
リを自分自身にしているのかもしれない。
人間て、何にでも飽きるよね。遊びも、賭け事も、食べ物も、
風景も、本も、お金も、女も、自分自身さえ、飽きたりするよね。
手にいらないときは、たまらなく欲しいのに、自分のものにする
と忽ち飽きてしまうよね。ありがたい、感謝する気持ちって本当
に難しいな。
ただ、ぼくはこう思う。飽きるって、何だか負の意識のように思
えるけど、実は、そうではないのかもしれない。飽きることから新
たな感心の対象を探す行為につながっていくことができる。人間
の一生はその連続である。ほとんどの人が徒労で終わるが、ま
れに大きな仕事を成し遂げる、幸運な人もいるのである。