花火 537
たぬきの親子
かぁちゃん。ねえ、かぁちゃんてば。
ぽん。
ずいぶん昔の話で恐縮であるが、ある時期、松本
清張にはまったことがある。点と線を初めとして、目
の壁、西郷札、とどれもこれも面白くって、寸暇を惜
しんでむさぼり読んだことがある。中でも、ゼロの焦
点が好きで、どうしても舞台になった金沢に、やみく
もに行きたくなって、年末の休日を利用してでかけた。
何の調査もせずに、ゼロの焦点の文庫本と、いくら
かのお金を持って出かけたのである。金沢駅には朝
着いた。空腹だったので、駅前の喫茶店により、モー
ニーングを食べた。トーストとゆで卵、そしてコーヒー
は、お代わり自由だった。ウエイトレスのお姉さんに、
松本清張とゼロの焦点のことを尋ねたら、さあ~と言
ったまま小首をかしげた。能登半島に行きたい旨を伝
えると、バス停を教えてもらった。
教えてもらったバス停でバスに乗って七尾市を目指
した。やや行くと、バスの窓外に日本海が見えた。何
だか日本海は陰鬱に見えた。正にゼロの焦点の海だ
った。反抗的で怒りを秘めた日本海。太平洋や、まして
や瀬戸内海とは全く異なる海原を確認できただけで、ぼ
くは満足だった。