_ 春と修羅 286
阿佐田、哲也というふざけた名の作家がいた。又の名
を色川武大という。
阿佐田哲也は大衆小説、つまりエンターテイメントの麻
雀小説で、めっぽうおもしろい。和田誠の監督で有名にな
った麻雀放浪記は娯楽小説の白眉である。麻雀を知らな
いぼくですら、飽きないどころか、腹を抱えて笑い転げる代
物で、個性豊か有象無象が跋扈して、かくも人間の生態は
はなはだ面妖なるのかと訝る一方、妙にリアリティーあふれ
る人物描写に圧倒されるばかりである。
また色川武大の名は娯楽性をそいだ小説を書くときに使
用する名前であり、その端倪すべからざる文体の妙は、読む
人をして色川ワールドに誘われ、読後感の満足度はひとしお
である。
それらは、黒い布、怪しき来客簿、離婚、百、狂人日記と、
それぞれ名のある文学賞を得ている。
蛇足になるが、氏は、麻雀のみならず、演芸、ジャズにも
造詣が深く、但し、本は意外にも読まなかったらしく、知人の
薦めるドストエフスキーも一顧だにせず、ひたすら旧・新訳聖
書を精読してたらしい。
近過去、さるヤクザウオッチャーの本を読んでいたら、思
いもよらず、新宿のバーの年老いたママさんの言に出会った。
「武ちゃんは毎晩飲みにきたわよ。お金がないので、いつ
もつけだったけど、売れ出して全部払ってくれたけど、いいの
よ。随分このお店でおこったことを小説に書いているので、も
とはとっているのだから」 武ちゃんに合掌