独り言    4月15日-2-43-269 | はなのブログ

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           阿弥陀仏と菫    269
  荘子を読んでいます。読んでて感じるのは、言葉が乾い
た砂に吸い込まれる水のように、ぼくの心にしみわたるので
す。何故そう感じるのか、しばしいぶかしんでみたのである
が、わが日の本の悠久なる歴史を紐解けば、西行を嚆矢と
して、いるはいるは、鴨長明、禅宗各派、良寛、芭蕉、森鴎
外、夏目漱石、そして湯川秀樹にいたるまで荘子から多くを
学んだ人達である。何故なら荘子の教えは儒学のような実
学にあらずしてむしろ文芸に近い。権力や財力、あるいは
名声を低く見て、清貧にあまんじ、自由な生活を旨とし、価
値や尺度を常に相対的とみなし、かたくなに価値を保守する
を忌み嫌い、自然を尊ぶ。
  いぜんぼくが、西行の桜のうたを無常観のなさしめたもの
と書いたが、無常観なるがゆえに仏教の概念だが、どうも一
考をせねばなるまい。日本の和歌や俳句は、周知のように圧
倒的に中国の詩人達の影響下にあった。李白や杜甫の生き
方は荘子の教えそのものである。西行も中国の詩人を通して
荘子の教えを学んだに違いない。そういえば、西行や鴨長明
の作品のみならず、生き方においてさえ、荘子の斉物論、養
生主論、そして逍遥遊論がうかがい知れるものだ。
  うかっにも今まで、ぼくの胸中にも荘子が息づいているの
を見落としていた。たしかに荘子を読めば、全身でリフレーン
が響く。