_ 阿弥陀仏と菫 260
はなはだ尾籠な話題になって恐縮であるが、われら男に
とり、珍々は子供の頃より手すさびの最たるもので、遊び疲
れた後、高台から放尿の飛ばしっこをしたもんだ。よけいに
飛ばしたからと言って何かを誇れるものでもないのに、無邪
気に戯れた記憶が、鮮明に脳裏にこびり付いている。
もう随分昔のことだが、生意気に、しかも背伸びをして大
江健三郎に夢中になっていたころ、大江のセヴンティーンの
冒頭ながながとした珍々の描写にあきれると言うよりも、かく
も作家はあからさまに書く覚悟に、めくるめく感動をおぼへ、
大江の天才を確信したのを憶えている。
これが女性作家の場合はどうだろうか。ぼくが想像してみ
るに、たとへ大江氏を真似て、女性作家がわが身の中心部
分を克明に、且つ芸術的に描写しようとも、なんびとも賞賛を
得られないであろう。
それはなにも書き手の能力の差異によるものにあらず。
男女のもつモノの相違によるものと愚考する。男のモノが持
つ風情、たおやかさ、雄雄しさ、おくゆかしくも、おかしく、そ
のくせ珍妙うで、どこか孤独感も漂い、ずうずうしくもあり、加
えてなでてやりたいようなかわいさもあり、時に威厳を漂わ
せ、時にはうらぶれた悲哀でうなだれ、かくのごとく多様な表
情を表現するに、女性のモンでは荷が重過ぎる。