独り言    4月8日-1-22-248 | はなのブログ

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_         阿弥陀仏と菫   248
  欲望のあるところ商売が成り立つ。
  たとえば、ぼくの住む町の丁度真ん中辺りに八幡神社
がある。八幡さんだから応神天皇を祭っているのだろうが、
ぼくは一度も頭をたれたことがない。
  人間が人智を超えたものを想定し、つまり神だが、それ
を敬い、畏敬の念を覚えるにやぶさかでない。と同時に神
仏を全く意に介さない人の生き方も認めるのが、ぼくの態
度である.
  ぼく自信としては、宗教に対する興味は旺盛で、数々の
宗教の教義を学ばしてもらっているが、信仰のためではでは
はない。人間を、そして自分を知りたいがためである。
  人間が生きるにあまたの不可解や、困難があるとき、宗
教は答えを提供してくれる。その答えをよすがに生きていく
と言うことがあるに、誰もケチをつけることはできない。ただ、
時折変な答えだな、と首をかしげることもあるが、だからこそ
人智を超えたものへの信仰といえるのだろうが、そのことが
ぼくが信仰の世界に入るにとまどう主因である。不合理ゆへ
にわれ信ずと言う精神に欠ける所以だ。つまり、人間の欲望
と言おうか、不可思議ともいえるが、それにたいする一つの
答えが宗教の存在理由なのだろうか。その答えが信者をし
て心の平安を得さしめるのであろうか。
  心の平安を求める気持ちが宗教をつくる。