_ 阿弥陀仏と菫 232
ぼくが本が好きな理由の一つがコンプレックスの解消と、
虚栄心の満足だと思う。現在は正直に読書を楽しんでいる
が、原点の動機は間違いなくそうである。
しかるがゆえに、初めの頃は、砂を噛むような味気なさ
で、苦痛そのものだった。しかし、たとえ動機がゆがんだも
の読書自体にはかわりがない。そのうちしだいに喜びも生ま
れ、次第にのめりこんでいった。知識や思考の幅が広がれ
ば広がるほど自由の幅も広がっていき、知識のポケットも増
えてゆくことが楽しくなってきた。
愛知という言葉がある。名古屋のことではない。文字道理
知を愛するという意味だ。ぼくは知識を手段と考えてはいな
い。おのずから目的として見ているのだろう。だからほとんど
目的合理に読んではいない。いわゆる濫読である。愛知なの
だ。自己満足とも言えなくもない。だが思い返せば本から学ん
だことが、役に立ったこともある。役に立たなくても愛知にか
わりない。えびふりゃは嫌いだ。