_ 阿弥陀仏と菫 223
狭量に過ぎる、ということがしばしば人間には見受けら
れる。人間だれしも、われこそ全知全能の体得者であると、
言葉に出さぬが心の深奥で自認している節が伺える。こん
な人に限って学習を放棄しているし、他人の思想や宗教に
容赦ない。反面、少数だが寛容な人がいないわけではない。
そのような方は、ぼくが観察するに、おおむねよく勉学してい
る。それはどうも、自己がはなはだ無知であるとの自覚によ
ることらしい。そんな人に限って、他人に自己の考えを押し付
けたしないし、他人の思想を排斥しようとはしない。つまり寛容
なのである。つねづねそんな人から学ばなければならぬと、か
ねがね思慮しいるが、言うは易き、行うは難し。ボンクラを自
称するぼくとしては苦慮することおびただしく、いまだに狭量
から逃れられない。無理に寛容を装っても、いわゆる付け焼
刃に過ぎず、本物の寛容を体得するには、まず、自己のはな
からの無知をしみじみ自覚し、先人たちが残してくれた知的財
貨を学ぶにしかず。