驟雨と毬 16
昨夜はおでんだったので、今日のお弁当のおか
ずのなかにダシのよくしみたゆで卵が入っている
のは必定、こんな日は昼食の弁当の蓋をあける
のがたのしみである。思いのとうり入っていれば
ゴキゲンだが、ときおり誰かが食ったのか姿が見
えないことがある。そんな時は脳漿に悲しみがよ
ぎる。そういうぼくを俯瞰して眺めやれば、あまり
の器の卑小さに情けない心持につつまれてしまう。
歴史を思い浮かべるまでもなく、世の中には自ら
の命を顧みず、世のため人のため損得を度外視
して行動する豪胆な人たちがいる。社会が危機を
迎えると必ずそういう人たちが輩出される。平和
な時代はそういう人たちの活躍する場がないので、
いるのかいないのかはわからない。時代がステー
ジをつくるのである。
ぼくが、ぼく自身を観察するならば、およそ晴れ
がましい時代の寵児には不適格で、落語にでてく
るはつっあん、くまさんの類であろうことは自明で
ある。そのことを恥じる気持ちはいささかもありま
せん。ぼくの家系は先祖代々名もなき大衆であり、
偉い人が一人もいないのが自慢である。