彼岸 5
ノーマン・メイラーの裸者と死者を買ったのは、
たしか、19さいだった。徳島の駅前のいまはな
くなったけど小さな本屋だった。そのときカミユ
ーの異邦人とカフカの変身も買ったけど大成功
だった。こんなことは少ない。いつも当たりはず
れがある。はずれといってダメ本といってしまう
のではなく、読む時期が早すぎたり、あるいは遅
すぎたりすることがある。
昨日書いたトニオ・クレエゲルはマンの自伝的
小説なので、できれば思春期に読んだほうが一
番いいと思う。
ゲーテのファアストは18さいのとき、東京へ受
験に行ったおり神田の古本屋で買った。恐ろしく
難解な本で3ペイジばかりで沈没していまだに読
んでいない。
吉本隆明の言語にとって美とは何かは、三宿の
古本屋で買った。お金が10円足りなくて店の人に
そういったら「はい」と言って2冊の本をくれた。嬉し
かった。そのころ吉本氏は学生のあいだで神様の
ような存在であった。神様のご託宣を拝聴するよう
に氏の本をむさぼるように読んだのが思い出される。
梅本克己の過度期の意識を買ったのは、19さい
だった。いまもあるかしら名にし負う早稲田の文献
堂である。小さな古本屋であるが、ぼくはこの店に
はいるとき心の中で一礼をして入った。初めて買っ
た哲学書であるが大当たり。ぼくはくりかえしくりか
えし、この本を読んだ。いまでもぼくの血肉にまち
がいなくなっている。かくのごとし。