白河夜船 26
徳島の街を開高健はたしか眠っているような街
と彼の作品のなかで形容しているが、言い得て
妙である。そのなかで生活をしていると気付かな
いが、ぼくが東京で暮していていた時、徳島のニ
ユースが話題になることは絶えてなかった。文化
の果てなのだろうか。
果てでかまわないという居直りの立場もあって
いいと思う。中心があれば周辺もある。果てであ
ろうと周辺であろうと住んでいる人間はおなじょう
に悩んだり、笑ったり、泣いたり、拗ねてみたりし
て生きている。生きるということは死んでもいる
のだ。
悩んだり、考えたりしてわからなくなったとき、
思考を停止し、プールで思いっきり遊んだり、
少し背伸びしたレストランえ行き、フルコース
のフランス料理を、友人とおしゃべりをしながら
楽しんで、脳に休日を与えてやると、また思わ
ぬ考えが浮かびもつれた糸をほぐしてくれるか
もしれない。思いつめないこと。ケセラセラの心
が大切かもね。