ふらふらの記 8
本日、早朝目が覚めて、さっそくパソコンを起動。こうなれば最早病気です
な。若き頃はぼくは勉強をしなかった。どうしても何故勉強をしなければなら
ぬかの解答が得られず、無駄に時間を空費してしまっていたが、今から後悔
しても仕方がない。今後の余生のなかにいかすしかないだろう。
9時30分家をでた。いつものように両国ファミリーに駐車して読書。本は吉
本隆明の甦るヴェィユである。ぼくの勘なんで申し訳ないが、これからの指針
としてローザ・ルクセンブルクとシーモヌ・ヴェイユを学まねばならぬ。という根
拠なき確信がぼくのなかにある。それは反スターリンがスターリン個人に向け
られ、ソビエトの失敗がレーニンあるいはトロッキーを含めた批判にまで至ら
なかった反省から生まれたものである。ぼくのこの勘をためしてみたい。
11時になったので出発、途中さざなみにより昼食。11時40分に北島の大
〇さんによって野菜をわたす。おかえしに高い卵をいただく。息子さんにイン
ターネットのことを教わる。眠くなってきたので、川の隣家に来て読書。本は永
井荷風の腕まくら、明治の東京の下町のここちよさ、たとえば、おのれという
男性の力のもとに女がむしろ死を叫ぶまで総身の快感に転々悶々するその
裸体とその顔その表情とをはっきりと隈なく熟視しようと思ったのである。すご
いでしょう。かないません。武田泰淳はこう言った。女を描けねば一流の作家
とは言えない。女を描かしたら荷風にかなわない。けだし名言。腕まくらの女
は駒代という芸者だが、そばにいてにおってくるようないい女だ。それでいて
道徳くさくない。何事につけおおらかなのである。社会が道徳だの倫理だのを
強調する時代は要注意、民衆を管理しようとする時代だ。今がその時代だ。