書くことがないので、ぼくのことを少しかきますので、興味がないかたははしょつてください。
人には長所・短所がありますが、長所についてはよくわかりませんが、短所は自覚してます。他人のなかに、ぼくの短所(いやなところ)を見っけると嫌悪してしまいます。だから、ぼくが嫌いな奴はぼくに似た奴です。偽善・卑屈・嫉妬・自惚れ・傲慢・陰険・狡さ、他人のなかにそれがみえてしまうと、いやになってしまいます。それは自分のなかに巣食っている感情なので、ちょうど傷口に塩をすりこめられたようで、我慢できないのです。
かってといえばかってですけど、いたしかたありません。自分のなかにある感情を嫌悪し、他人のなかにそれをみっけると人格まで憎むというのは、なにやら矛盾をかんじなくもないけど、そんなことってありませんか。
ただ憎むといっても、いちいちおまえは嫌いだ、なんていったりはしません。ふつうのお付き合いをしていますが、心のなかでは嫌っています。
相手も同じように嫌っているのかもしれませんが、ぼくのなかにある倫理が嫌っているのです。もちろんぼくのなかの感情も倫理は嫌っています。
しかし、こうも考えるのです。偽善・卑屈・嫉妬・自惚れ・傲慢・陰険・狡さが、本当に不毛な感情なのか、と。これらの感情も否定的そくめんばかりでなく、肯定的側面もあるのではないか?そんな時、ふと昔読んだフロイトを思い出した。良く考えればこれらの感情は自我をめぐる感情である。自我を守るためにうまれた感情でないか、と。
倫理観がぼくのなかにある邪魔なものを掃除できるかといえば、むりみたいです。
どうやらそれらのいやな感情と同居しながら生きていくしかないのかもしれません。
ぼくのなかの倫理と、それに反する感情の葛藤からエネルギーをもらっていきていくしかないのでしょうか、なんて、偽善そのものですね。