tmp222のブログ

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◯◯のことについて、感じたこと、伝えたいことを書いてます。

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お金があれば、
ああしよう、こうしよう。

時間があれば、
ああしよう、こうしよう。

よく聞く話。

実際にお金や時間があったなら、本当にはたしてやるのだろうか?

本当のココロの中の声は、

お金さえ、時間さえあれば、必ずできるはず、と言ってる。

お金や時間をつくることが、目的になってしまっている。

そして、こう続く。。。
お金や時間がないせいで、できない。
だから自分は悪くない、関係無い、と。

それだから、見失う。
本当には、何のためにお金や時間をつくったのかを。
自殺やら過労死の記事を読んだ。

仕事でも、それ以外の日常でも、
人は常に多様な出来事やコミュニティに関わりを持つ。これは生きている上で必ずついて回ること。
そんな中で自分を見失わずにそこに在り続けるために必要なことがある。

①今このことを自分が選んでいるという主観的な自覚を持つこと。
②本当にこのことを自分が選んでいるのか、ということを立ち止まって見ることができる客観的な冷静さを持つこと。
③自分と他人に感謝すること。

それができれば苦労はしない、という人もいるかもしれないが、生きるってことは本質的にはサバイバルなんだ。向き合うことを放棄してはいけない。
やり方がわからなければ、
素直に自分と他人に聴けばいい。
自分は本当はどうしたい?
あなたはどう?って。

良し悪しの判断を手放して。
正直に誠実に。

物事の決定について、
きっかけ、表面上は自分が決めようが他人の意思が働こうが、そんなのはどっちでも良い。

ただその中心だけは譲ってはいけない。

自分の行動決定の軸を他人任せにした時点で成長も貢献も無いし、下手をすれば心が蝕まれて重篤な事態に陥ってしまう。

自分の人生の操縦桿だけは、自分でしっかり握っていることだ。
【滞るワケ】
ほんの些細な、
パッとみた感じでは関係なさそうな「え?これ⁉︎」みたいなことがきっかけになって、ココロの流れや物事の進行を妨げてるってコトがあるんだわ、これが。

気になることがあると、ココロは乱れて的確な行動を妨げる。

重要だけど緊急ではない事柄から取り組むのは大切らしいが、自分にとって何が重要なコトなのかを見極めるのがまず一番。

何がココロの本来の動きを妨げてるのか?この判別が案外気付かない。

掃除とか、
自分や人との約束を守るとか、
何かを手放すとか、
ちゃんと丁寧に続けるとか、
最後までやり切るとか。
昭和の偉大なる大経営者。
人間観についての一節、教育に触れ以下のように仰られている。


「学校でね。人間は偉大な存在、それはあんただけでない、友だちも、偉大な存在であるということを、しっかりと教えると。」
↓以下本文より引用
http://toyokeizai.net/articles/-/72677?display=b



メンタルヘルスの考え方のひとつであるアサーションにつながる。

昭和という、まだまだ経済至上主義の時代の経営の神様の言葉。
価値は時代を超える。
善意であれ、悪意であれ、
意図してようが、していまいが、

僕に関わってくれた、
また今関わってくれている、
全ての人から影響を受けてはじめて今の僕は成り立っていること。

そして僕もまた、
意図しているかどうかに関わらず、
多くの人に何らかの影響の与えて生きていること。

そういうことに意識を向けて、
今目の前の事実に向き合うと、
なにか確かなものを感じるのはなぜだろう。

この有難い感じなのが、
感謝というものかな。


そういう日常の普通は、
素晴らしいと思う。
僕がここにいて、
僕には両親がいて、
またそれぞれに両親がいて、
その前にも、その前にも、ずっと、ずっと、
人類が地球に生まれたといわれる400万年前まで。生き物として辿るならもっと、さらに。

そんな昔から、脈々と繋がり、今がある。

全ての記憶、経験値は遺伝子の中に。
潜在している。

今、自身が自身の力で考えている、と思っていることすらも、400万年前からのありとあらゆる学びのリレーによって形成されているのかも知れない。

そして、今、確かに僕という存在は、僕という意識とこの体と共にここにいる。
このことは奇跡であり、感謝しかない。
誕生日を迎え、
今日このタイミングに、いのちを思う。

このいのちが偶然でなく、
今の自分の意識に与えられたものだとして、
400万年前からの、最先端のこの時に僕は何をなすべきか?
そんなことを思う。

もし、その答えが少しでも感じられたなら、
それがきっと使命だ。