私には、小学5、6年生の時に仲がよくて大好きだった友達がいました。

中学生になって、その友達に新しい友達ができました。

いつものように「一緒に帰ろう。」って言ったら、
新しい友達と顔を見合わせて「何言ってんの?」って、無言で言われてるように見えました。

その瞬間、

私、嫌われてる?

って、思ったんです。

新しい友達ができたら、私はもういらない?

私は、ここにいちゃいけない?

そう思っちゃったんです。

その日から、どんなに仲良くしてても、いつか裏切られるんだ。

もう絶対に人なんて信じない。

そう思うようになりました。

人の顔色を伺うようになって、嫌われないように、相槌を打つくらいで自分の意見は言わず。

いつもどこか人を疑って、その人の裏ばかり読もうとしてました。

私は、人から嫌われる。

そう思って、本気で自分に向き合い始めるまで30年近くも生きてきました。


だから、愛なんて私にはわからなかった。

私を愛してくれる人なんてこの世の中にいるはずがない。

愛なんて、きっと、私には一生わからない。

そう思ってました。

好きな人ができても、好きとか大好きだとは思えても愛はわからなかった。

結婚してもわからなかった。

ここまでの私の愛は、男女間の愛でしかありませんでした。

そんな私が、世界は愛でできてるのかもしれない。

そう思いはじめるきっかけになったことがありました。


2年ほど前、子宮の病気なのかな?というような大量の出血が2週間近く続きました。

そのせいで、ものすごい貧血になっていて、そこから過呼吸になって救急車に乗る。

ということになりました。

今思うと、次にやりたいことがあるからその時の仕事を辞めたかったのに、人が足りないから辞めたら他の人が困る。

とか、辞めて次のやりたい仕事がみつからなかったら。

とか、そんなことを考えてなかなか辞められずにいて、自分に我慢をさせすぎていたから、辞める方向に導いてもらったんだと思っています。

救急車に乗って2週間後、病院に検査結果を聞きに行く為の駅のタクシー乗り場でのことです。

いつもは、並んでないのに電車が止まってたせいで、何人か並んでいました。

私の前に並んでいたお婆さんが、娘を連れてしんどくなってしゃがんでる私が病院に行く。って聞いたら、

「先に乗りなさい。」

って、言ってくれたんです。

でも、ずっと待ってたのを知ってるから「次だから、いいです。」って、言っちゃったんです。

そしたら、お婆さんが、

「なんで、あなたにそう言ってるかわかる?」

「私な、さっきここに来るのに、この重い荷物を階段から持って降りるのどうしようかと思って立ち止まっててん。」

「そしたら、親切な人が降ろしますよ。って、持って降ろしてくれてん。」

「これ、持ってみ。」

そう言われて持ってみたら、キャリーカートとはいえ、漬け物石でも入ってるん!?

って、くらい重かったんです!

「私が、さっきその人にもらった親切を今、あなたに返したいねん。」

「人の親切は受け取るもんや。」

「それで、今度は、あなたが誰かに私からもらった親切を返してあげて。」

そう言われたんです。

心の中で、

ドラマ?!

ドラマの中のセリフやん!!

こんなことって、現実にあるんや!!

って、びっくりしました。

なので、その親切をありがたく受け取りました。

そして、私も頂いたこの親切を誰かに返すぞ!

と、心に誓ったんです。


そしたら、なんと?!

翌朝。

娘を学校に送り出して、玄関のドアを閉めた瞬間。

ベランダから大きな声が。

隣の部屋に留守番に来られていたお婆さんが、

お孫さんにカギを閉められて閉め出されてしまった。

まだ1才だから、閉めてしまったけど、開けられない。

と...

えーっ!!(゜ロ゜ノ)ノ

昨日受け取った親切、次の日に返す時やってきたやん!!

完全に宇宙の采配やん!

返しましょう。

返しましょう。

昨日の親切を喜んで返しましょう。

そう思いました。

反対のお隣の人と協力しながら、

真夏だったので、熱中症も心配だったんですけど、冷たくなる差し入れしてる間に2時間後くらいには、ご家族が帰ってこられました。

お婆さんもお孫さんも無事で、本当によかったです。

お隣の方に「ありがとうございました。」って、すごく感謝されました。

タクシー乗り場のお婆さんの親切からはじまって、
お隣さんから私に戻ってくるまで。

この時、なんとなくこの世の中は愛でできてるのかもしれない。

そう思い始めたんです。

救急車に乗るくらいしんどいことを経験して、その後半年は、働けない期間もあったし、思うように動くことができなくて寝込んだり。

そんな中で、家族、職場の人達の愛を感じました。

大阪で大きな地震や台風があった時には、遠く離れている友達の愛を感じました。

私は、みんなに愛されてるんだなぁ。

そうしみじみと感じることができました。

そして、お隣の人とは困った時は、助け合う気持ちが生まれました。

私が住んでいる地域は、自治会や子供会の人達が子供達を喜ばせる為に地域活動が盛んです。

お祭りや運動会に参加する度に、地域の人達の子供達への愛を感じます。

電車やバスで席を譲ってる人を見かける時、愛だなぁ。

って、思います。

嫌なことを言ってくる人がいたとしても、私の心の中の傷を教えてくれて、より生きやすくなる為に必要な気付きを与えてくれるありがたい人。

それも愛だと思えるようになりました。

だから、今は、

この世界は愛でできてるんだなぁ。

そう思います。

自分の心と真剣に向き合って、癒すうちに

私は、私のことが大好きになりました。

そしたら、回りにいる人が好きな人達に変わりました。

ヨガを習っていた時に、そのことを先生に話すと
自分のことを好きになってきたからかもね。

そう言われました。

今ならその意味がわかる気がします。




中学時代の思い出の

インナーチャイルドを癒していた時、先生に
「自分のことを嫌われるような子やったと思う?」

って、聞かれたんです。

考えてみました。

あれっ?

嫌われるようなところが思い浮かばない...

なんで嫌われてるって思ったんだろう?

そういえば、中学の3年間毎朝一緒に4人で登校して、帰りも一緒に帰ってた。

嫌われてたら、そんなことしないな。

年賀状も今でも毎年届く。

私が、忘れたくて何年か出さなかった間もずっと届いてた。

嫌いな人にずっと年賀状出し続ける?

あれっ?

私、嫌われてなかった?

そのことに気付くのに30年もかかっちゃいました。

その間、ずっと、あの子のせいで私は、こんなふうになってしまったんだ。

そう思い続けていました。

その思いが、幼稚園のママ友と不仲になった現実を引き寄せたんだと、今は思っています。
(あれは、まさに中学時代再びの日々でした。)

魂の学びを進めていく中で、今生の心の傷だけじゃない過去生から持ち越してきている傷も影響することを知りました。

私の場合、ここ何年かで薄々感じていた大好きな人に嫌われる。

これがあったことが、わかりました。

だから、大好きだった中学時代の友達もママ友にも嫌われていると思ってしまう現実が起こっていたこと。

そして、その役目を引き受けてくれた2人は、過去生でも大切な友達だったこと。

その学びをすることが、私にとってとても重要なことだから、重要な役目をかって出てくれたこと。

思い出した時には、涙が流れてきました。

本当に感謝しかなかったです。


自分の心を癒したら、毎年送られてくる友達からの年賀状に対する気持ちが変わりました。

同じ年の一人っ子の女の子のママ。

娘さんは、小学生の時の友達に似てるなぁ。
かわいいね。

旦那さんの転勤で、よく引っ越してるけど
楽しそうに暮らしててよかったな。

そんなふうにあたたかい気持ちで見ることができるようになりました。

今年も年賀状送ってくれてありがとう。

そんなふうに思えるようになった自分を、

今、心から幸せに思います。



世界は愛でできている。
今日もあなたが幸せでありますように✨