『敗者の錯覚』 | ぎふと屋の社長のブログ(勇将の下に弱卒なし)

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敗者の錯覚



自分が下した判断が正解だったかどうかは


当然のことながら、後になってからでないと分らない。


ただ、最初から的を射ている決断には


往々にして、1つの共通点がある。


結論を導き出す論理が極めてシンプルであることだ。



「Aという理由から、Bという行動をする」


正しい決断は、大抵この一文で完結する。


それに対して、間違った決断は、くどくど補足説明が長くなりがちだ。


「Aのような事態が起きるかもしれない。そうなれば


Bのような状況になるはずだ。それに対して


対応策にはCとDがあるが、Eの条件を鑑みて


Cという行動をする。」



ある経営者は、次の様に言った。


「重要な決断を下す時は、結論に至るまでの理屈が


小学校高学年でも理解できるくらい単純化できるか


口に出して確認してみるといい。


それが出来ないなら、自体の本質をとらえていない証拠。


そういう判断は見送った方がいい。」



そもそも、方針を説明する上で、補足や言い訳がたくさん付いてくる


決断は、「今、すべきこと」ではなく、ただ単に当事者が「やりたいだけ」


という場合が多い。



自社の身の丈に合わない過剰投資や


時機を読まない販路拡大、個人的興味に根差した研究開発等


いずれも、経営者としてのメンツや虚栄心を満たす為の


方針であり、状況を分析して弾きだした答はない。


だからこそ、推進めるには、周囲や自分自身を納得させるための


『補強材料』が必要になる。


「かもしれない」「はず」といった憶測表現や


「たら」「れば」などの仮定法が多用され


説明はますます長くなる。


複雑な補足が必要な時点で、その決断は


間違っている可能性が高い。



名経営者の多くはそう考える。。。