水上哲夫のブログ

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あちこちで話したことなどを書き綴っていきます。おんなじ話を繰り返さないように・・・

とある二つの会社がある。仮にA社とB社としよう。

 

A社の社長はまじめで始業時間前に出社、会社の周りを掃除。携帯を片手にあちこちに指示を出したり、お客と連絡を取ったり忙しそう。夕方みんなが帰った後も残って仕事をし最後に帰る。

 

B社の社長は、いつも始業時間ギリギリくらいに出勤。机に座っているかと思えば、現場に出たり、外へ出たりといつもその辺をぶらぶらしている。夜のお付き合いも多いようで早めに退社することもおおい。

 

A社のほうが立派な社長さんだろうか。でも、ここでもう一つ情報を提供しておく。

 

A社の業績はあまりよくない。収支はいつもトントンか赤字である。一方のB社の業績は良い。売り上げは伸びているし利益も出ている。

 

社長の仕事は、業績次第である。時間厳守だとか、てきぱきしているとか、身だしなみがよいとかそういうことは決して無駄だとは言わないが肝心なことではない。必死に働いて成果の出ない社長より、ぶらぶらしていても成果を出す社長を有能と呼ぶ。

東日本からスーパー「ダイエー」の名前が消えるとのこと。私は昭和50年から57年まで足かけ7年お世話になった。若いころだったのでいろいろなことを身に着けた。社会人の常識といってもいいもかもしれないが思いつくものを上げてみたい。

 

「先入先出」 いわずと知れた古い商品から先に品出していくという鉄則である。店頭の実習に行ったとき、ディリーの先輩が陳列されていた100個以上あると思われるバターをすべて別の棚に移し、入荷してきたバターを下に敷き、陳列されていたバターをその上に移し替えていた。ずぼらで怠惰な学生時代を過ごした私は何と面倒くさいことをするものだと衝撃を受けた。今は生活習慣の一部となり、冷蔵庫の中は古いものは手前に、新しいものは奥に何も考えずにやっている。

 

「定物定位」掃除道具や工具などは、必ず元の位置に戻す。ということである。昔、会議室の管理をしていたころは、会議室の机と椅子は動かしたら必ず元に戻すように指導していた。言い方を変えれば、掃除は掃除道具をもとに戻して初めて終了する。ということだ。小学生のころ、忘れ物の天才と呼ばれ、忘れ物のグラフが天井まで届きそうになった私だが、バッグの中のスマホやカギの位置を決め整理するようになってからは物忘れも人並みになったと自負している。私だけかもしれないが・・・

 

昭和のころ、「北京の55日」という映画があった。義和団事件を扱っていた。日清戦争の後、清の弱体化が明白となり、そこに付け込んだ対外列強が清の利権の奪い合いをしていた。中国民衆の間で外国人に対する反感が広がり、義和団と呼ばれる宗教団体が扶清滅洋を唱えて反乱を起こす。清朝政府も最初はこれを鎮圧しようとしたが、その後この暴動に乗じて自分たちの勢力を拡張しようと図った。

 

暴動は北京に及び、対外公館の区画に義和団とそれを支援する清朝軍が襲い掛かる。当時北京にいた日・露・英・仏・米・独・墺・伊8か国の公館職員とそれに伴う軍人ら580名が協力してこれを防いだ。総司令官に押された英国公使マクドナルドは、副官である日本の柴中佐に厚い信頼をおき軍事を任せた。

 

柴五郎中佐は、会津人で10歳の時鶴ヶ城の落城を味わっている。当時何もできなかったことのリベンジマッチだったのかもしれない。天津から連合軍が駆け付けるまで、彼らは55日間の籠城戦を戦い抜いた。彼の実直さと日本軍の勇猛果敢に感銘を受けたマクドナルドは、帰国後日英同盟を推し進めることになる。

守城の人 柴五郎

 

ミスコンテストが減ってきたのはいつごろからだろうか。応募者が女性だけなのはおかしいとか、容姿のみで評価するべきではないとか。さらに女性参加を推し進めるために女性の国会議員を増やせとか、大学も女性枠を設けろとか。いろいろとうるさくいう人が増えてきた気がする。

 

でも、みんな女性の美醜には関心があるし美容整形も大流行りだ。昔、「美人は得か」というテーマでディベートをやっていた関係でこの手の話にはなんとなく関心が向く。

 

そんな時、Youtubeの私のページに表れたのが「可愛くてごめん」という歌だ。いろいろな人が歌ったりダンスをしている。音楽ユニットHoney Worksが作った、すごくポジティブで明るい曲だ。

 

まず出だしがいい

「私が私の事を愛して 何が悪いの?嫉妬でしょうか?」
そして、私は私のやりたいようにやるという。
「大好きなお洋服 大好きなお化粧で お決まりのハーフツイン巻いて お出かけしよ」

最後にこう胸を張る
「Chu! 可愛くてごめん ムカついちゃうよね?ざまあw」

 

さまざまな雑音に、「ざまあw」と言い切る勇気。聴いてて気持ちがいい。

 


 

2月の衆議院議員総選挙は、自民党の圧勝に終わった。

 

これについて、わたしは中国に対する悪感情が背景にあると感じている。これはどちらかといえば国民より政府に対する感情がおおきいだろう。

 

まず、自民党総裁選で高市さんは国会議員票で劣勢であったが、党員票で四割の支持を得ていた。この流れを受けて決選投票で高市さんが勝利。この背景に自民党は中国に遠慮しすぎるという庶民感覚があったのではないか。このことが結局総選挙で自民党勝利に結びついていく。

 

総選挙では、高市さんの人気が高く、自民党のそれはあまり高くなかった。しかし、アンチ中国の流れは自民党の圧倒的な勝利を導いた。

 

もう一つ、現役世代はお年寄りの上から目線の偉そうな物言いを好まない。中国政府も、古いリベラル政治家もそしてオールドマスコミも、そういう雰囲気に満ちていた。

 

 

 

先日、東白川ロータリークラブの50周年記念の公演会があった。2020年東京パラリンピックで国家を歌った全盲のシンガー。佐藤ひらりさんの演奏会だった。

その時披露された楽曲の中で「ほめられてのびる子行進曲」というのが印象に残った。「ほめて、ほめて、わたしをほめて・・・」から始まる楽しい曲だ。

 

そういえば、昔は、ほめると図に乗るからあんまり褒めてはいけない。とよく言われた。人をほめてその才能を伸ばそうというのは最近の傾向だ。わたしが読んだ本では、デールカーネギーの「人を動かす」が人をほめることの効用を説いている。この本はセールスマンのバイブルといわれ聖書の次に売れているという。

 

ほめるといっても、おべんちゃらになってもこまるし。という人も多い。デールカーネギーによれば、その人のいいところを見つけたら、躊躇せずその場で正直に言うことが大事だという。嘘はいけない。無理に持ち上げる必要もない。

昔、父親から聞いた話。

父親は、家を5回建てた人で、昔は自分でトンカチをふるって家を作ったという話を聞いたことがある。新しい家ができたころ夕食の団欒でお酒を飲みながら、私にこう言った。何でも地元のどこかの旦那様に言われた話だという。

 

人は、立っていれば半畳、寝ても一畳あれば生活はできる。法事や結婚式で人が集まるようなときは、旅館やホテルを利用すればいい。家を必要以上に立派にしたり大きくしたりすることを考えるな。

 

ということだった。私のいる町は昔から商業が盛んで「生き馬の目を抜く」といわれた。商店街は、毎年お店の入れ替わりがあって激しい競争があったいう。そんな場所では、家の立派さに目を奪われると何か大事なことがおろそかになる。質素倹約を心掛け、無駄を省き、状況の変化に目を凝らさないと時代に置いて行かれてしまう。繁華街では常に敗者が生まれては消えていく。

 

北海道で生まれはるか離れた東北の田舎に居を定めた父は、地元の旦那様たちに交じって努力を重ねてきた。心に刻んだ教訓の一つがこのことだったのだろう。

組織というものの形が少しづつ変化してきている。組織に参加していれば、あれをするのが当然。まとまりを強めるための集まりには参加して当たり前。そうして組織が個人の時間を徐々に奪ってきたが、その傾向に変化が表れている。仕事にあまり関係ない作業を渋る人が増えてきた。最近は、若者が会社の飲み会に参加しないという。それは先に述べた変化が背景にある。

 

今回の衆議院選挙では、組織力を誇る二つの大政党がまとまって選挙に立ち向かう。いずれも背後には労働組合と宗教組織がいる。しかし、仕事以外の時間に組合活動をすることが必要なのか。同じ宗派の友人と知らない人に投票を呼び掛けることは大事なのか。と考えると、そのような強制力を行使していけば行くほど組織は徐々に弱体化していく。

 

影響力を失いつつある組織とネットを中心に徐々に力をつけている個人。その変化の中で今回の選挙は行われている。組織力というものの弱体化は、選挙結果に注目すると見えてくるかもしれない。

20年以上昔の話。アドホックで初めて海外へ行った。行く先はマレーシア。そのころ、日本では、大臣の失言問題が新聞やテレビをにぎわしていた。マレーシアに着いて現地の新聞を見てみたら、どこにもそんな話は載っていない。日本と海外の関心の違いにとまどった。

 

その後マスコミの評価は大きく変わってきた。そのきっかけになったのは、2024年7月の東京都知事選である。候補者の石丸伸二氏が新聞記者やテレビのコメンテーターに向かって「発言の趣旨がわかっていない」「勉強が足りない」などと批判。マスコミの人たちが答えに窮する画面が広まった。

 

さらに、2024年11月には、兵庫知事の選挙で斎藤元彦さんが再選された。マスコミがこぞってパワハラ知事として批判を強めていたにもかかわらず。背景には、県民がマスコミの批判に違和感を感じ自分の力でネットの情報を調べるようになったことが影響している。マスコミの主張が空回りし始めた。

 

2025年11月岡田議員が台湾有事に関する質問をし、高市首相の回答が中国の反発を招いた。失言を取り上げ批判するマスコミに対し、ネットでは、中国との友好を壊すような質問をした岡田氏への批判が相次いだ。ネットの側に立った人々が増えている。時代は変わった。

 

 

歴史に残る最も古い商人の一人に白圭がいる。

 

司馬遷の「史記」貨殖列伝に載っている白圭(はくけい)は、紀元前4世紀ごろの戦国時代の人で、孟嘗君などと同時代である。

商売で莫大な財産を得たが、その大部分を河川改修に費やしたといわれる。洪水で困っている人たちを救おうとした。普段の生活は質素だったという。彼がどうやって財貨を得たかについて詳しくはわからない。余ったものを仕入れ不足しているところに売った。などと簡単にしか述べられていない。

 

宮城谷昌光さんの小説「孟嘗君」にも孟嘗君の保護者として白圭が登場する。

当時の交易はキャラバン隊を編成しておこなう。価値のあるものを運ぶわけだから当然盗賊に狙われる。襲撃を受けると荷物ばかりか人夫や護衛の兵士まで皆殺しにされることもあった。

彼は運のよい人と呼ばれた。なぜか盗賊に襲われなかったからだ。しかし、実際にはそう単純ではないだろう。全行程の十分な検証。翌日行く街道の安全確認。同行者に盗賊がいないかどうか目を光らせる。そういう細かな配慮が安全な旅の基本にあった、と考えるべきである。大きな成功は細心の注意の上に成り立つのである。