新年あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願いいたします。

 私が所属しているトーストマスターズでは、年明け1月から夏にかけて、スピーチコンテストのシーズンが開幕します。ちなみに日本の主要な弁論大会は、逆に11月を中心に秋口に集中していますね。

 さて、スピーチや弁論を作るうえで考えなくてはならないのが、その話の主張(メッセージ)です。
 どんな主張をしようか、、そのためにどんな内容を用いて、どんな表現で訴えようか、、話し手の話への悩みとは、話における主張の悩みに集約されます。

 その話の価値とは話における主張の価値、と言っても過言ではありません。
 でも、主張の価値とは一体何なのでしょうか。

 「人の価値観なんて人それぞれ異なる。だから、話の主張にどれだけの価値が有るかなんて、聴いた人で異なるんだよ」
 これはその通りで、突き詰めてしまえば、そうなのでしょう。

 しかし、突き詰めなければ?
 大枠での主張の価値を比較することは可能なのではないかと、私は思います。
 
 これは、人には思考の深さに階層が有るという私自身の持論から来ます。
 思考の深さには、浅い思考階層(例:自分が今まで知らなかった「知識」)から
 深い思考階層(例:生きるとは何か、死ぬとは何かという「死生観」)まで段階的な階層が有る、と私は考えています。

 パブリックスピーチや弁論とは、聴衆に話の主張をもって説得を試みるものです。そのため、どの思考階層にアプローチするかは、その話の主張の価値を測るひとつの大きな指標になります。
 「貴方に、今まで知らなかった新しい知識をお伝えしましょう」
 「貴方に、ご自身の死生観を改めて振り返ってもらうためのお話をします」

では、アプローチする思考階層が大きく違います。それこそ比べ様がない程に。

 ひとつの特徴として、
 話の主張が浅い思考階層にアプローチする場合は、そのスピーチや弁論は「具体的」であり、説得された聴衆が受ける影響は「限定的」、つまりその後の人生の特定の場面に影響を及ぼすものとなります。
 話の主張が深い思考階層にアプローチする場合は、そのスピーチや弁論は「抽象的」であり、説得された聴衆が受ける影響は「体系的」つまりその後の人生の様々な場面で影響を及ぼすものとなります。

 私は主張の価値、ひいてはその話の価値とは思考の深い階層に働きかける主張である程に高いものと考えます。

 では、スピーチコンテストや弁論大会では思考の深い階層にアプローチする主張を試みるべきなのでしょうか?
 そうとシンプルに言えないところに主張の価値の難しさが有ります。