「器の大きい人だ」「あの人は器じゃない」

 その人の持つ、人としての力量を示す言葉として使われるのが器(うつわ)です。
 一口に力量と言ってしまいましたが、その内訳はおおらかさ、優しさ、冷静さ、沈着さ、厳しさ、公平さ、先見性、決断力、判断力・・・人望を集め、そうして集まった人々をより良い方向に導いていく力の集合体とでも捉えられるでしょうか。

 ここでひとつ、思ったことが有ります。
 「人としての力量を器というのなら、その器には何が入るのか?」

 それはきっと、意思なのでしょう。意思は強ければ強い程大きくなります。そしてその意思を大きくするのが想い(理由としての感情)です。
 人は自分の器の中に想いをまとった意思を入れています。

 意思の大きさに比して器が小さければ、自分の意思を入れることで一杯となります。器よりも意思が大きかった場合、その意思は器から溢れて感情と共に外に零れていきます。よく怒る人、大泣きする人、、激情家とは器と意思の大きさが釣り合っていない人です。
 逆に意思の大きさに比して器が大きければ、自らの意思を入れたうえでなお器には余裕が有ります。そしてその余裕には、他者の意思が注がれていきます。

 器の大きい人とは、自分の意思のみならず他者の意思をも預って生きることのできる人物なのでしょう。 
 多くの人がリーダーに器の大きさを求めます。それは、リーダー自身の意思もさることながらリーダーの元に集まる人々の意思をも預ってくれるからです。   
 そうしたリーダーには多くの人が憧れます。憧れるからこそ自分もそう在りたいと願い、自分の器を大きくしていこうとします。 

 ただ、中には器が大きくても自分の意思を小さくして人々のために器の余裕を開ける人も居ます。私を滅して奉公する、、素晴らしい想いですがそうした器はいつか必ず壊れます。
 日本人がその思想上陥り易い傾向であり、今もよく会社で声が大きく器量の小さい上司の下で、器量を持ちながらその器を壊していく部下という構図が見受けられます。もちろんそうした会社や部署、団体は衰退します。
 
 だから、人としての器を大きくするならばそれだけの大きな意思を持つ覚悟が要ります。
 器を大きくしつつ、それに見合った強い想いをまとった大きな意思を持つ。
 それこそが、健全な人としての成長の在り方なのでしょう。

 では、どうやったら大きな器と大きな意思を持つことができるのか。
 次回は私が学んできたコミュニケーション、そして人の心身の関係という観点からその方法についてお話していきたいと思います。