私が所属しているトーストマスターズクラブでは、人前に立ちスピーチのノウハウを学んでいくのですが、これが本当にアメリカナイズ?されたもので、言葉のみならず全身を使ったボディランゲージや、気持ちを思い切りのせた声の使い方を表現方法として学んでいきます。

 これらの表現は、英語で行う分には違和感がないのですが、日本語で使うとなると中々普段の会話はもちろん、人前でのスピーチに使うにしても「うーん、大げさだなぁ」と面食らってしまうものです。 

 ベテランのトーストマスターズクラブクラブの会員の中には、そんな大げさなスピーチを「劇場型スピーチ」と呼んでいる方もいる様です。

 「劇場型スピーチ」・・・言い得て妙だなぁと思います。英語でのスピーチと日本語でスピーチの違いを端的に評しているのではないでしょうか。

 英語のスピーチは、正に舞台劇である、と捉えると凄くしっくりきます。
 話し手は舞台劇の主役。聴衆を正面に見据え言葉のみならず全身で自分の主張を発する舞台劇です。

 この舞台劇は正面の聴衆だけではなく、第三者である(世界の総監督として、天上にいるであろう)神様に対しても見せています。なので、「I」「you」と必ず誰の話かを明確にし、(日本人にしてみれば)力強いアイコンタクトをとり、大仰なぐらいの表現を駆使します。

 ちなみに、自分の手に負えない状況に陥った時の台詞は、天を仰いで「oh my God!」 まさにこの言葉は、”シナリオを描いた神様”へのメタ発言(メタフィクションとしての発言:次元を超越した発言)なのでしょう。
 
 では、日本語のスピーチはというと、映画鑑賞と考えてみると良いのかもしれません。
 話し手は映画の主演俳優。しかし映画は撮影済み、なので主演俳優は聴衆の横の観客席に座り主演映画を聴衆と一緒に、映画の場面を振り返りながら解説しています。

 リアルタイムの出来事ではないので、語り口は落ち着いた言葉となり、聴衆と向き合うのではなく、同じ場所に視線を置いているのでアイコンタクトはそもそも起きず、かつての自分(少なくとも今という瞬間ではない)を見てもらっている意識なので、大きな表現とする必要は有りません。
 
 なお、自分の手に負えない状況に陥った時の台詞は、ガックリと下を向き「仕方がない」または「仕様がない」でしょうか。
 日本人にとって神様は内に在るものです。内在する神様にとっても、仕する(おこなう)”方”法も浮かばず、仕する”様”も想像できない、ということです。その際に下を向くのは、本当は下ではなく自分の内に視線を向けているのでしょう。

英語スピーチが「劇場型」なら、日本語スピーチは「映画館型」。そう捉えてみるとスピーチの違いに理解が深まるのかもしれません。