今回お話しするのは、ボール(=主張)が受け止められるものの、「ボールを投げた「話し手」が消える」場合についてお話ししたいと思います。
この場合のイメージは、下記の通りとなります。
この場合、始まりが問題となります。
①公の見解や常識から入る。自分自身の感じたことではないところから主張が始まる。いわば自分の言葉ではない。
その後は、落ち着いては行きます。
②公(共通のビジョン)からなるものは分かる。
③目指すべきビジョンも示される。聴衆に公の変化のイメージが分かる。
③目指すべきビジョンも示される。聴衆に公の変化のイメージが分かる。
ですが、聴衆がボール(=主張)を受け取る段で、変化が生じます。
④主張自体は聴衆まで降りてくる、個々のイメージはできる。ただしそこに話し手は居ない。
⑤聴衆には話が大切なことは分かる。しかし、そこに話し手の伝えたい気持ちが入ってこない、または見えない。そのため聴衆の心には残らず、内容を忘れられてしまう。
⑤聴衆には話が大切なことは分かる。しかし、そこに話し手の伝えたい気持ちが入ってこない、または見えない。そのため聴衆の心には残らず、内容を忘れられてしまう。
交通安全講習、資格取得の学校の講義を思い出してみてください。大概は、”気を付けないとな””勉強しなきゃな”で終わってしまうものがほとんどです。そして、忘れてしまいます。
厳密には”話としては失敗という類のものではないのかもしれません。話し手の内容に問題が有るわけではないからです。
しかし”時間内に話をするのが目的”ではなく”話の内容を持ち帰って、心がけてもらいたい、実践してもらいたい”ということであれば、話し手の顔が見える、ということはものすごく大切なんです。
地平線が同じであることが分かるからこそ、聴衆は話し手に親近感がわくからです。同じ人間の感じたことから出発する話だからこそ、聴衆は熱意を感じ、熱意が有るからこそ、その話に意義を感じるんです。
人気の出る講師や先生は、自分の近況やら身の上話を上手く講義に織り交ぜて話します。これは、生徒(=聴衆)に自分への親近感を持ってもらうということが目的です。さらに熟練の方になると、自分がこの話をする意義や理由をも絡めて、講義をするんです。
日本史の先生であれば、こんな感じでしょうか。
「年号とか覚えるなんて大変だよな、正直そんなの暗記したってダメだぞ、どーせすぐ忘れるんだから。オレもそうだったし。でもな、歴史ってのは昔の人達の人間ドラマなんだよ。そう思うと、人間今も昔もかわらないもんだというのが分かってな。そうした話を聴いたり読んだりするのが楽しくなったんだ。それで、今こうして先生になったんだよ。710年から794年。たった80年ぐらいで、なんで都が変わっちゃったんだろうな。大仏まで作ったのに。何があって、どう揉めたのか。それをこれから話していくぞ。」
「年号とか覚えるなんて大変だよな、正直そんなの暗記したってダメだぞ、どーせすぐ忘れるんだから。オレもそうだったし。でもな、歴史ってのは昔の人達の人間ドラマなんだよ。そう思うと、人間今も昔もかわらないもんだというのが分かってな。そうした話を聴いたり読んだりするのが楽しくなったんだ。それで、今こうして先生になったんだよ。710年から794年。たった80年ぐらいで、なんで都が変わっちゃったんだろうな。大仏まで作ったのに。何があって、どう揉めたのか。それをこれから話していくぞ。」
もっとも、講義や講習であれば聴衆は、自ら内容を理解しようとするのが当然といえば当然であるため、ボール(=主張)の出どころや投げ始めの軌道も想像するなりするとは思いますが。。
貴方の周りに、良いことは言うししっかりしてるし頼れるんだけど・・・、いまひとつ心を開いてもらっていない、と感じる相手はいませんか?その相手のお話をよくよく聞いてみると、おそらくその相手の気持ちが本心から表現されていることが少ない、ということを感じると思います。
人の感覚というものは自分自身が思うよりも鋭敏です。聴衆は意識的にまたは無意識的に、話し手がその話を本当に伝えたいかどうか、熱意を感じているんです。
さて、次回のお話は「ボール(=主張)が公の軌道に乗らない」場合です。スピーチとしては成功、ただしパブリックスピーチとするには疑問の残るという事例です。
