今回は「ボール(=主張)が聴衆の手前で落ちてくる」場合についてお話ししたいと思います。
 
「ボール(=主張)が聴衆の頭上を越えていく」という前回とは逆のパターンです。聴衆との距離を実際より近いもの、と見誤った場合です。
この場合は、以下の流れをイメージしてください。
 ①自分自身の感じたことから主張が出発。自分の言葉であることが分かる。
 ②個から公(共通のビジョン)へ、私利のための話でないことが分かる。
 ③目指すべきビジョンが示される。話し手と聴衆が見る高みが共通となる。
 ④主張自体は聴衆まで降りてくる、個々のイメージができる。 
 
ここまでは良いとして、最後が問題となります。
 
 ⑤そのうえで聴衆は、「何故この話を、この人が?」と考える。そちらに意識が行くため、聴衆は素直に受け取ろうとしない。
 
この場合は、以前の記事で書いたアリストテレスが説いた「話の3要素」のうちの「信用」が無い状態といえます。(2-2:話の3要素
 
普段言い訳ばかりしている人が何かに取り組むことの大切さを説いた時、普段周りのやることなすことに文句ばかり言っている人が「協力することの大切さ」について語った時、どんなに分かり易く腑に落ちる話であっても、その話は”お前が言うな”とまともに聴いてはもらえません。
 
言葉は、それまでの話し手の信頼に足る要素(行動や姿勢、地位や立場)があってこそ届くんです。
 
実は、意外にこうした”「信頼に足る要素」が不足しているために聴かれない”ことに気付かない場合は多いんです。

注意してほしいのは、話し手が「信頼に足る要素」を持っているかどうかを判定するのは聴衆であるということです。
 
仮に、ある大学生が「人生の最後を迎えること、生と死」についてスピーチするとしましょう。普通に概念論や自分の意見を話すだけでは、聴衆は「何故先の長いはずの若者が?」という疑問が残ります。そこには、聴衆にとってその大学生が死の話をすることに、納得のいくだけの要素が必要になります。
 
アリストテレスは「信頼されるための5要素」について、「1.勇気・行動力」「2.社交性・社会性」「3.権威のある態度(職業、専門家)」「4.経験からの信頼性」「5.個人的な魅力」としています。
この大学生にとっては、聴衆が「信頼に足る」ためには、このうちの」「3.権威のある態度(職業、専門家)」または「4.経験からの信頼性」を認めさせる必要があると考えます。

3を満たすのであれば、大学生が死生観の研究を続けてきたことや医師や看護師など、人の死を間近で見てきたことなどが挙げられます。

4を満たすのであれば、自分がかつて死にそうな目に遭っていること、家族や友人の死を間近で見てきたことなどが挙げられます。
 
そうした、話し手の背景を聴衆が認めて、初めて聴衆が話を聴く姿勢を持つ様になります。事前に聴衆に伝えられれば良いのですが、それができない場合は、話の中で”自分がこの話をするに足る人物”であることを伝える必要があります。
そこを踏まえて、話の内容を見直していく必要が有るんです。
 
なお、この場合も聴衆がボール(=主張)を拾いに行く場合もあります。その場合も「ボール(=主張)が聴衆の頭上を越えていく」場合と同様、聴衆の意識の高さ(問題意識や、話し手個人への敬意)から成り立っていることを心してください。
 
「自分は本当にためになる話を届けようとしている、なのにどうして聴いてもらえないんだろう・・・」そんな場合は「ボール(=主張)が聴衆の手前で落ちてくる」スピーチになっていないか、見直してみてください。
 
さて、ここまでの2つは話し手から聴衆への放物線としてのパブリックスピーチでした。次回お話しするのは、話し手が消えるタイプの事例です。