前回、パブリックスピーチは放物線を描くと定義しました。それでは失敗する=聴衆に届かないパブリックスピーチとは、どんなものなのでしょうか。
 
パブリックスピーチは、主張というボールを聴衆に向かって投げるようなものです。ボールを投げる際は距離(聴衆までの心理的距離)と軌道(話し手と聴衆のビジョン)が関係します。
 
失敗するパブリックスピーチで分かり易いのが、聴衆との距離を見誤ることです。
 
今回紹介するのは、ボール(=主張)が聴衆の頭上を越えていく場合です。
 
この場合は、ボールが聴衆の元に降りていかない、とイメージしてください。
 ①自分自身の感じたことから主張が出発。自分の言葉であることが分かる。
 ②個から公(共通のビジョン)へ、私利のための話でないことが分かる。
 ③目指すべきビジョンが示される。話し手と聴衆が見る高みが共通となる。
 
問題はここからです。
 
 ④主張自体は高尚なものとして聴衆に理解されるが、達成された際の自分たちの在り方が示されない、物凄く漠然としている。
 ⑤聴衆には、話と話し手の考えが素晴らしいものだとは認識される。ただし、それは「自分とは関係のない」ものとして。
 
大体の人がやりがちな失敗するスピーチの典型です。
 
熱心な会社社長の訓示や、世の中を正したいと思う情熱をもった人達のスピーチ、日本の演説の典型的なかたちでもあります(3-2:スピーチと演説の違い 参照)。
 
この手のスピーチの最大の特徴は、「べき論」で話が終わるということです。
”差別のない世の中を創り上げるべきなんだ”
”職場環境は改善されていくべきなんだ”
 
・・・話の内容自体が素晴らしいものだとしても、そうなったとき聴衆一人ひとりがどうなるのか?そこについての言及がされないんです。
なので、聴衆はこう思います。「素晴らしい意識を持った人が熱心に語っている、全くその通りだ。でも、、自分にはあまり関係のない話だな
 
話し手のスピーチ目的が、自分の考えの素晴らしさを見せつけるためであればこのスピーチでも構いません。しかし、聴衆の心を動かしその後の行動や意識の改革を促すことが目的ならば、もうひとつ聴衆まで届けるための工夫が要ります。その工夫とは、一人ひとりに身近なものがどう変わっていくかを伝えることなんです。
 
「そこは聴衆が一人ひとり考えるべき」と感じる方もいるかもしれません。実際に聴衆が自発的に考え出す=ボールを拾いに行く場合もあります。

ただし、それは聴衆が話し手の主張を常日頃から考えている場合、または話し手をリスペクト(尊敬)している場合に限られます。パブリックスピーチにおいて話し手が聴衆にボール(=主張)を拾いに行かせるのは、それこそ聴衆への甘えなのかもしれません。
 
話し手の最大の目的は、”聴き手に自分のボール(=主張)を届ける”ことなんです。だからこそ、そこに最大限の注力をすることが大切であると、私は思います。
 
さて、今回の事例は「ボール(=主張)が聴衆の頭上を越えていく」というものでした。次回の事例は「ボール(=主張)が聴衆の手前で落ちてくる」場合についてお話ししたいと思います。