こんにちはmizukiです。

はじめましてのかたはこちらから





私がファッションを学んだ土居コウタロウ先生のFBCというグループワークを体験しました



実はこの体験は2回目で

前回は初めての参加というのもあり


ただただ不思議な気分で何も言語化できないままでした




このグループワークは外見の悩みや対人関係、お仕事の悩みなどを入り口に

※デゥピティーというものを立ててグループで潜在意識を動かしていくイメージなのですが


※代わりの人の意味




え、本人とやらなくていいの?!キョロキョロ

とか

なんでそんなことわかるの?!キョロキョロ






と最初は違和感やら、半信半疑な気持ちが大きかったです。

でも不思議とその日の夜は良く眠れたりして


「やっぱり気になる」

「分かりたい」


という気持ちが大きくなり、2回目の体験に参加したのでした。





今回はメインパーソンを受けることが出来たのもあり

凄く深い所まで掘り下げることができました




最初は全然関係ない質問だったのに

最終的にはお父さん、お爺ちゃんまで登場して


私も過去に傷ついていたことすら気づいてなかった私を見つけ、号泣してしまいました悲しい





人手不足で、トルソーも代理人として登場してくれたのですがドレス

トルソーにお爺ちゃんの代理人をしてもらうときに、

「お爺ちゃんはスカートを履いていないから」という理由でトルソーが履いていたスカートを先生が脱がせたところが今回のハイライト笑い泣き笑い泣き笑い泣き(違)












私の家は、父が昔 借金を背負わされたことがあり

お金に余裕がないことが当たり前

「うちはお金無いから」が枕詞になっているのが、私の記憶の中の父でした



「一円単位で節約している」


そんな父の言葉に


「じゃあ私のおこずかいあげるよ」

と渡そうとしたところ


「そういう額じゃないんだよ」

と拒否されたことが何度かありました





その時の出来事に、自分でも思っていた以上に傷ついていたことに

今回のワークで気付いたのです



私は、心を開いて純粋に
お金という「愛情」をお父さんに渡したかっただけなのに

父は余裕が無くて、また父も傷ついていて心を閉ざしていたから
その事に気づくことができなかった

また、私が使えばいいという優しさもあったかもしれない

でも「お金」「金額」という損得勘定で
「自分の気持ちを受け取ってもらえなかった」ことが、私の心に深く刻まれてしまった


だから
「私は役立たず」
「役に立ちたいけど必要とされていない」

こんな気持ちを感じる現実が繰り返されていた





生きているだけでお金がかかることに罪悪感があったし

何の役にも立てない無力感はいつの間にか怒りに変わり


その怒りのエネルギーでバイトで稼いだお金を家に入れていた時期もありました。


「私だって役に立つんだから!」


そう主張することで

「私は生きていてもいい」って思いたかった


でも、

そんな私の気持ちを無視し続けてたのは私のほうだ


お父さんは優しさもあった

お父さんは余裕がなかった

私は愛されていた


それも事実だけど


あの時、寂しくて悲しかった気持ちをなかったことにして


許した気になっていた




だから、あの時を私を迎えにいかないといけないなって思った




傷ついて当然のことだったんだ

私も知らなかっただけだったんだ

なかったことにしててごめんね



オープンハートで生きたい

世界への信頼感を取り戻したい



そんな願いを放っていた私に対しての答えが、そこにある気がしました。




そもそも「親との関係を解消しないと前進できない」わけではないと思ってるし

そういうルールのもとやるのではないけれど


なんだか今、私に必要なのは癒しなのかもしれない


そこにあらためて立ち返る時期なのかもしれないなと感じました。





春の雪解けのように

少しずつでいいから
ほどけていくといいな