日付が変わって、今日は4月1日。新年度が始まる日でもあるけれど、今日はエイプリルフールだ。日付が変わって間もないというのに、既にauやGoogleマップ、Pixivやニコニコ動画などはエイプリルフールネタに染まっている。私も皆がつく本当のような嘘に騙されて、4月1日はまだまだこれからだというのにたくさん笑わされた。
 エイプリルフールは嘘をついてもいい日、ということになっているが、正確には嘘をついて皆を楽しませるという意味で嘘をついてもいい日のようだ。現にいくつかルールがあり、嘘をつくのは午前中までで、午後はしっかりとネタばらしすること、他人が困るような嘘はつかないことなどがあるらしい。前者は初めて知ったが、後者は考えれば当たり前のことだろう。いくら4月1日だからって、私今日死にます、なんて言われたら、嘘だとしても気分が悪い。
 今日はたまたまエイプリルフールの話だったが、これに限らず何事もルールを守って楽しくやりたいものだ。



 外を見たら4月だというのに雪が降っていたけれど、これも地球が嘘をついているのだろうか。
 今日は3月11日。当然ながら、テレビはどのチャンネルでも震災関連の話ばかりで、ネットでもあの時何してたとか、黙祷しようだとか書き込まれていた。どの場所でも震災の話をしているのだろう。私の家も例外ではなかった。

 朝(と言っても昼近くだったが)起きてみると、テレビから津波について話している声が聞こえてきて、そういや今日は3月11日だったなあと、寝ぼけた頭で考えた。あれから1年が過ぎたのかと考えると、1年ってとても早かったなあと思った。テレビを見ていた親も似たようなことを言っていた。
 逃げてる時はそんなこと思わなかったけれど、テレビで繰り返し流れる津波の映像を見ると恐ろしく感じる。水の上で燃える炎、流されていく漁船、悲鳴……防波堤を超えても勢いを失わない水に、飼っている犬のリードを持ちながら必死に走ったのを覚えている。地震が起きた時、逃げるのがもう少し遅かったら……きっと今頃あの波の中にいたんだろう。
 逃げた後も皆冷静さを失っていた。海を見て大声で泣き崩れる人をたくさん見た。演技じゃない悲しみの声を初めて聞いたような気がした。人ってこんな声も出せるのかと、犬を撫でながら思った。届けられた数少ない支援物資を、制限を無視して我先にたくさんもらおうと群がっている人も見た。生に対する欲がはっきり見えた。毛布にくるまりながら、皆生きるのに必死なんだなと思った。多くの人が命があるだけでも十分なんだと話していた。それでも皆どこか後悔しているようだった。夢なら良かったのにと何度も思った。しかし実際に体験したからこそ考えることもたくさんあった。

 以前テレビで、東京付近で大きな地震が起こる可能性があるという話を聞いた。1年前のような地震がまた起こるのかと考えると不安だ。私でさえ不安なのだから、東京付近に住む人々はもっと不安なことだろう。日本にいる以上地震は避けられない。大きな地震が起きた時、犠牲になる人がより少なくすんでくれることを願う。
 ネットの友人がつらそうにしていたから声をかけてみた。どうしたのか聞いてみたら、異常性癖について話をしていたら気持ち悪いと言われたらしく、そのことを気にしているということだった。好きなものは人それぞれなんだから、何言われようが気にしなくていいんだよと言うと、友人は元気になってくれた。

 異常性癖。気になる人は調べてもらえればわかることだが、その名前からもわかる通り、中身は少し驚いてしまうようなものばかりだ。
 たしかに名前には異常と入っているが、はたしてそれは本当に異常なんだろうか。そもそも異常とは何だろうか。逆に普通とは何だろう。いつの間に普通というものができたのだろう。地球上の全員が異性を好きになるとは限らないように、性癖だって皆同じとは限らないし、全部が全部綺麗なものではない。なのにどうして気持ち悪いと思うのか。

 たとえ嘔吐物好きだろうが死体好きだろうが目玉好きだろうが、その人がそれを好きなことに変わりはない。その人がそれで幸せを感じて笑えるのならそれでいいじゃないか……そう思うのは、駄目かなあ。
アリプロのナルシス・ノワールを聴いていたら気分が暗くなりました。
夜に聴く曲ではないと実感。
歌詞は妖艶で好きですが。

さて、「サヨナライツカ」という映画をみました。
タイのバンコクが舞台になっている作品で中山美穂が出演しています。
原作は辻仁成さん。
中山さんの旦那様ですね。
あらすじは婚約者がいる好青年、豊(ゆたか)と謎の美女、沓子(とうこ)のラブストーリー。
沓子が妖艶でわがままだけれど憎めない性格で豊が惹かれていったのもわかります。
豊の婚約者、光子(みつこ)が良妻賢母を絵に描いたような人だから沓子の自由奔放ぶりが際立って見えました。
そんな沓子と豊は別れてしまいます。
別れてから二人が出会うまでに豊は結婚していました。
一方の沓子は病魔におかされてしまいます。



あらすじはここまでにして、沓子さんが途中から可哀想な女性にうつりました。
寂しさや弱さを隠すために自由奔放にしているのかな、なんて思ってしまいましたね。
半ば自暴自棄。
わかるな(>_<)
沓子の気持ちがわかります。
私も一時期、自暴自棄になっていましたから。
今ではいい思い出ですけれど。
悲しくて、寂しくて、それをまぎらわすために東京で遊んでいました。
夜になって顔も知らない人とお酒を飲みにいくことが当たり前になっていましたし…
閑話休題。
「サヨナライツカ」良い映画なのでおすすめします。

あの時に戻りたいと思ったことは誰でもあるだろう。あの時こうしていたら、またはあの時こうしなかったら……誰でも間違えるし後悔する。
ではもしその「あの時」が今だったら?今の自分は未来の自分が「あの時こうしたかった」と思って戻ってきた自分だとしたら?はたしてそれでやりたかったことができるだろうか。
答えはノーだ。だってあの時の自分は未来の自分が後悔していることを知らないから。今の自分があの時の自分に戻っても、あの時の自分の考えが変わるわけじゃない。考えが変わっていたら、それはもうあの時の自分じゃなくて今の自分だ。今の自分があの時の自分のふりをしているだけだ。あの時の自分はもういない。

何でこんなこと書いてるんだろう。そういやさっき初心に返りたいと思ったんだったなあ。思い出した。