子供のころから
超神経質な人がまわりにおり、
体罰やヒステリックな怒りなどを集中してぶつけられてきたので
(これは一人っ子ゆえである)
自分も強迫症、対人恐怖やうつなどになるのは
まあ、至極当然と思っていた。
私自身も真面目な性格であったし、
そうなるのは必然だっただろう。
実際、小学生で胃潰瘍にもなっていたのだ。
が、30代半ばを過ぎて
受けていたカウンセリングの中で
驚いたのは
「はっきり分かれているわけじゃないくて、手のひらから生えている指のように根本はわりとつながっているものの
いくつかの人格を行ったり来たりしているのわかる?」
と言われたことである。
そういわれる直前に
「ちょっとまって、あなた今、舞姫さん?」
と聞かれて
私自身も
「あれ?」と思ったのだ。
私と思っていたけれど、
今
「私こんなことですごく怒っていた」と
カウンセラーの先生に必死に訴えていた私は
誰だ?
私、そんなに怒ってないぞ。
と思ったのだ。
実際、前に
友人と話していて
「急に舞姫ちゃんが男の人になったかと思った瞬間があった。
ものすごく声が低くなったし」
と言われたことがあって、
「え、あ、そんなことあった?」と思ったこともあった。
なんとなく自分の存在感が希薄になったり不安定なのも
詩を書いたり小説を書いたりするせいかなと思っていたけれど
どうもそれだけではなかったらしい。
どころか、その後のカウンセリングでは
ほかの人格を維持するためにエネルギーを消耗してしまって
疲弊しているから
とにかく「自分でいる感覚を自覚するようにしましょう」
ということになった。
実際その後「ほら、今、『自分』じゃないよ!」と
声をかけられて戻ることが度々あった。
今は、相当ストレスのかかる環境から脱出しているので
だいたい自分でいられていると思うのだが、
ちょっと自分では判定しがたいところだ。
自分が自分でいられない。
それは本当に残念なことだ。
その人がありのままで生きられる。
それが一番のことだと
痛切に思う。
私が作りだした少し私とはズレた人格も
しっかり吸収してここからは歩いていきたいと思う。