はじめまして! 記念すべき初ブログです。
初ブログだからといって、気負うことなくタイトル通りに、「なんてことない日常」を過ごす中で気づいたことをあげていこうと思います。
まず最初は、先日大学生の息子に手紙を書いたことから。
念願の志望校に入学できたのは良かったのですが、いざ、授業を受けてみると…
「思ってたんと違う!」ということがあったみたいです。その結果、「何のために勉強しているのか、わからへん。」
何のためにって、「そりゃ、単位を取るため」と言いそうなところぐっとこらえて、考えました。だって、そんなこと言われても、身も蓋もありませんもんね。
まずは、前置き。
私は、大学生時代、授業を取りまくりました。卒業するのに130単位でいいところ、211単位取得しました。卒業生900人中「さすがにトップだった」と指導教官が後で呆れ気味に語ってくれました。
とにかく、中学校の先生になりたかった。そのためには、授業はもちろんのこと、卒業必修ではなかったですが、図書館の勉強も必要だろう、進路指導もできないとまずいな。地域の教育についても学んでおく必要があるぞ。と、とにかくあれこれ受けました。
おかげさまで、学校図書館司書教諭、中学校教諭(職業指導)2種、社会教育主事といった特殊な資格も取れました。中学校の先生にはなれませんでしたが、約15年後に生きることになります。
この辺から徐々に本題。
もちろん大学の授業は、資格免許に直結する授業ばかりではありません。でも、中学校の先生になりたかった私は、ぶれていませんでした。「どうやって、生徒の指導をしたらいいのか」
ですから、指導に使えるものはないか、自分がこれを生徒に教えるとしたら今受けている授業以外の教え方はないのか、そんなことばかり考えていました。
今でも忘れられないのが「道徳教育の研究」という授業です。道徳というのは正しい生き方を教えるのではなく、日常的に遭遇する葛藤状況に対してどう行動するかを考えさせること。これは、自分の教育に対する考え方の根幹になっています。
だから、授業が楽しくってしょうがない。そりゃそうですよね。全部自分の興味に引き付けて考えてしまうんですから。だから、自慢ではありませんが、授業で寝てしまったことは、夏の暑い日のプレハブ校舎で受けていた哲学の授業での黙読の時間だけです。
主人公として人生を生きる
ひょっとしたら、いま、「何のためにやらなきゃいけないのかわからない」ということに苛まれていませんか。
「やらなければならないからやる」というのも悪くはありませんが、せっかくだったら、自分で意味づけてみませんか。やらなければならないことに。
例えば、どのように自分の成長に活かせるのか、どのように趣味に活かすことができるか、自分のやりたいことにどうつながるのか。などなど。
それを考えると、やらされている感が薄らぎ、少しは「自分で決めた」、「自分で選んだ」という感じなれます。この「自分で」というのが、人生を主人公として生きるコツなのです。
(おまけ)手紙の顛末
えっ、息子への手紙でどう言ったのかって。息子は古着屋さんでアルバイトをしていてそのアルバイトがとても楽しいと言っていました。
もうお分かりですよね。「古着屋さんを繁盛させるにはどうしたらいいか」考えながら授業を受けてみたらどうだと。この話は、どうもしょっちゅう言ってたみたいです。
手紙を読んだ息子曰く、「その話、使い古されてるわ」
アルバイトで目利きはできるようになっているようです。