「調和と飽和 朝活で考えたこと」
梅田のコワーキングスペースOn theで毎週火曜日の7時30分から8時15分まで「新しいライフスタイルを創りだす「朝活IKIGAIカフェ」と題して、行なわれています。
朝から葛藤 でも、一歩踏み出た!
今日も朝活でした。朝、目が覚めて、「もうちょっと寝たいよぅ」とぐずぐずしてましたが、ちょっと思い直しました。朝活に参加すると、いつもメンバーから刺激を受けて、新しい考え方に遭遇します。そうです。「新しい一歩を踏み出すのか、出さないのか」
新しい一歩を踏み出したい!
布団からガバッと飛び起き、急いで洗濯物を干し、こんなときに限って、洗濯物が少ない!調子に乗ってきました!今日はごみの日。マッハで家じゅうごみを回収し、着身支度を整えて、シュッパーツ!早いのなんの!予定よりも25分も早く着いてしまいました。誰も来てなかった(ノ∀`)アチャー
人生の課題
今日の刺さったものの一つが、
「特に我々は報酬を得るために何かをしがちである」
という言葉です。グサッて刺さりました。だって、報酬が無かったら、何のためにやっているの?報酬が見込めないとき、がっかりして、興味や情熱を失ってしまうそうです。
いやいや、そりゃそうでしょ。例えば、仕事をしたのに報酬が無ければどうします?「生活できません」、あるいは安ければどうします?「こんなに一生懸命にやったのに」
となりますよね。
と、ここまで考えて、「しまった!」と思いました。学生に「人は何のために働くと思う?」という質問をした時です。学生たちは異口同音に「お金のため」と言いました。まあ、何と現金な。お金だけに。しかもそれ以外にあるのかという口ぶりです。
働く意味って?
一応、大学で中学校教員2種免許状「職業指導」(現在でいう「進路指導」です昔、進路指導は就職指導だった名残です)を取得した者として、ちょっと心がざわつきます。だって、働くことは、もちろん、収入を得るということも重要ですが、自己実現と社会貢献のためでもあると思っていますから。
でも、どうです。報酬の話になった途端、「生活できません」ですよ。学生と同じですわ。おんなじ。お恥ずかしい。教員免許返上もんですな。
悶々と読み進めてみると、「(報酬を得るというのは)自分にコントロールできるものを超えて、たくさんの要素に依存することなのだ」ですって。そりゃそうだ。いくらお金のために働いても、会社が倒産したら、給料は入らないですし、リストラだってあります。
コントロールできないとき、どうする?
結局、自分にコントロールできない(上記の例では経済状況)結果に一喜一憂し、興味や情熱を失ってしまう。ということですね。「あら、もったいない。」(インディの口ぐせ) だったら、自分でもコントロールできることに照準を合わせた方がずっと幸せですね。
この自分でコントロールできないことに対して、日本人はうまく対処してきたと思います。例えば、自然です。お庭ひとつとっても、日本では自然をうまく取り入れていますよね。山を借景に、季節の花を愛でたり、雪でさえも雪景色を楽しんだりしますもんね。
コントロールできない自然に、こちらから合わせていく。これが、この本の中に何度となく表れる「調和」ということではないかと思います。互いに戦うのではなく、互いを受け入れていくという感じです。この「調和」こそ人生の課題だと思います。
控えめになるということ
もうひとつ刺さったのが、
「日本の生きがいという概念は、いつも控えめで自制的なものであり」
という箇所でした。おそらくその精神性が、持続可能性を高め、日本では様々なものが長続きしているそうです。天皇家は世界で最も長く続いてきた王室でしょうし、現存する会社としては世界最古の金剛組は1442年の社歴を誇っています。なるほど。そりゃ長いわ。
もう一方で、この持続可能性は、社会にも及びます。社会が長く続くためには、安定的でなければなりません。みんなが、自分の欲求に任せたままだと、やがて奪い合いなどが起き、社会は不安定になります。
そこで、日本では「自分の行為が社会全体にどんなインパクトを与えるのかということについて、注意深くなければならない」と書かれています。
お互いさま
でも、どうでしょう。いま、控えめに、自制的に行動する人が少なくなってきているのではないでしょうか。「迷惑をかけなければ、何をしたっていい」と思っている人が多くないでしょうか。
私たちが生きていく上において、誰かに迷惑をかけないということがあるでしょうか。確かに無人島でひとり暮らしをしているのであれば、誰かに迷惑をかけていないかもしれません。
私たちは、生きていく上で、迷惑のかけあいをしているのではないでしょうか。たこ八郎の「迷惑かけてありがとう」ではないですが、誰かは誰かの世話になっている。手間をかけさせている。それを互いに行っています。そうお互いさま。
自分ひとりでは生きることができません。その自分の無力さに気づいたとき、ひとは、控えめになるのではないでしょうか。自制的になるのではないでしょうか。だれかに依存しなければ生きていけないとき、みんなと調和して生きていこうとします。だって、お互いさまなので。
自信を持つということは…
きっと、「迷惑かけなければ何をしてもいい」という人は、自分の無力さに気づいておらず、あらゆるものを自分でコントロールできると思うのでしょう。
おれはもっと評価されるべきだ。←評価をする相手はコントロールできないのに
おれはもっと報酬を得るべきだ←経済までコントロールできないのに
ある種のおごりでしょうか。こういう人は、周りと調和して、うまくやっていこうとしません。自信でパンパン。つまり、「飽和」しています。人間関係の悩みなんかも同じかもしれません。そういう人に話を聞くと、相手の悪口を滔々と話されます。自分は正しい。自分は正義と言わんばかりに。自信たっぷりに。
あの世界一の社歴を誇る金剛組でも、社訓に背き、バブルに踊ってしまいました。稼げると自信があったのでしょう。結果、自己破産に追い込まれ、高松建設の支援を仰いでいます。(正確には、社歴がその時点で途絶えたという意見もあります)
飽和と調和
自身の限界を知り、みんなと調和して生きる。それは、ある種の謙虚さと言ってもいいかもしれません。
朝活仲間が、皇居の勤労奉仕を行なった経験を語ってくれました。勤労奉仕の際、天皇陛下が、普段の活動やどこから来たのかなどを質問されるそうです。上皇陛下が天皇陛下だったときのことだそうで、それはもう、人の話を丁寧に聞かれる謙虚なお姿に感銘をうけたそうです。
憶測の域を出ませんが、この上皇陛下の謙虚なお姿は、国の象徴として自分が存在しているが、その国は国民あってのもの…と国民との「調和」を意識されていたのではないかと思うのです。
自分の力を過大評価して「飽和」してしまわないように、自分の無力さを知り、コントロールできないものと「調和」を図る。ただし、お互いさまを忘れないこと。それは、自分もまた、さまざまな人や場面において重要な存在であることも感じながら生きていく。
そうありたいものですね。
そういえば、脂肪もお肉なんかの飽和(脂肪酸)よりも、お魚などの不飽和(脂肪酸)の方が健康的ですし、摂取する必要があるのが「不飽和(脂肪酸)」というのも面白いですね。