前号の振り返りから
前号で「次号を待て」と書いて終わったのですが、「待つ!」というコメントをいくつ頂戴しました。ほんまにありがたいことです。
死を遠ざけている現代日本において、急にやってきた死の恐怖。テレビは感染者の数を続けていますね。スポーツクラブで、ライブハウスで感染が疑わしいところが軒並みあげられ、同業者は休まざるをえませんね。
学校は休みになるわ、マスクは品切れが続くわ、とうとう、咳しただけで電車が止まるようになりました。緊急事態だけなんですけど、電車が止まるの…。
誰に言ってるの?
ところで、不思議なんですよね。電車のアナウンスが。在宅勤務、時差通勤を促しているんです。厚生労働省と国土交通省から協力要請があったて。でも、それって労働者が「明日から時差通勤、在宅勤務しますっ」って宣言できるならそれでいいですよね。
でも、できます?そんな宣言が。できない人に協力要請ですわ。それ、会社に言うべきことですよね。従業員を時差通勤、在宅勤務させなさいって。個人に協力って、そりゃないですよね。
奇妙なのが、今回の“騒動”で国が発している様々な対策がの多くが「個人向け」なことですね。個人でコントロールできる、あるいは選択可能なことを越えて、個人に向けて発せられています。例えば、「咳エチケット」もその一つです。
守っても、守らんでも…
咳エチケットを守らないものは処罰する。となれば、国の責任において、処罰をすることになります。でも、エチケットにはそこまでの強制力はありませんよね。単にお作法を守らない人なんですから。
感染を防ぐ方法が、「エチケット」という個人的道徳になことに任されています。が、みんなは感染の危険に怯えているわけです。そこを「守った方がいいが、守らないのもまあ、あり」のような方法で乗り越えようとする。そりゃ、ちょっと無茶かも。
守らない人の周囲の人は、たまったものではないでしょう。個人の選択で強制できるものではないが、とても怖い。では、どうする。となった時、どうしようもない。その苛立ちが非常ボタンのスイッチを押させているのではないかと思うんです。
だからといって、咳エチケットを守らない人を処罰したほうがいいとは思いませんが。だって、「エチケット」なんですもん。
だ・か・ら~
こういう煮え切らないことが今回多いですね。例えば、「不要不急の外出は控えよ」と言うものの経済活動が冷え込ませないようにしようとする。子どもの感染を防がなければと学校を休みにするけれど、保育園や認定こども園は開園する。感染していると周りが迷惑すると。感染をいち早く見つけなければという雰囲気を醸し出しておいて、一方では、無闇に医者にかかるな。自宅療養せよという。
困るのが、全部正しいことですよね。正しいことしか言ってない。むしろ、正しいことを全部言っている感じでしょうか。で、どうするかは国民に委ねています。自分で決めろと。つまり、自己決定ですね。
但し、この自己決定が“くせ者”なんですね。自分で決めることができていいんです。基本的には。
医療での自己決定
自己決定について、医療社会学という授業の中でちょっと考えたことがあります。例えば、乳がんが見つかって、どのように治療をしていくかを決定しなければならないときに患者の自己決定が重要なんですね。
自分の身体をどうしていきたいのか。特に、乳がんでしたら、乳房を切除するのか温存するのかという難しい選択に直面します。特に昨今、インフォームド・コンセントが叫ばれていますので、患者の自己決定は重要なんです。
でも、通り一遍の説明を受けて、いきなり、切除しますか、温存しますかという生命の人生の重大な選択を迫られても…ですよね。せめて、十分な病状の説明と見通し、さらには治療法のメリットデメリットなどをきちんと「分かるように」説明を受けて、時間をかけて考えて、決めたいですよね。だって、生命に、人生に関わる重大なことですから。もちろん、迷ったときには相談に乗ってくれるようなことも重要ですね。
インフォームド・コンセントを説明して、同意してもらったらそれでいいと考える向きもあるようですが、それではいけないのではないかと思うんです。
必要な情報が届かない
ところが、今回の流れてくる情報の多くは、感染者の数ばかり。どう振る舞えばよいのかについては、散発的には流れてくるものの、ヒステリックにさえ聞こえるマスクなどの物資の不足と感染者の増加のニュースにかき消されてしまってませんか。
つまり、情報の無いなかで、どう振る舞うかの自己決定を促されているといっても過言ではありません。心ある人たちが、SNSなどを駆使して、個人で情報を発信しています。なかには、インターネットなどを駆使し、情報を集めて、自分の振る舞い方を決めている人もいます。まさに、これからの人ですよね。
しかしながら、その一方でSNSを使わない人たちは、“情報弱者”となってしまい、マスコミが流してくる、感染者の数の増加と物資の不足だけを聞かされることになってしまいます。そりゃパニックになるって。中国の情報統制のことを言えませんよね。
あしたはどっちだ?
自己決定が出てくると、表裏一体にある「自己責任」がむくむくと顔を出してきます。だって、言ったことありませんか?言われたことありませんか?
「自分で決めたんでしょっ!最後まで責任取んなさいっ!」
そう、自分で決めたということには責任は付随するんです。「出歩くな」「経済活動は止めるな」という、両方とも正しいことを全部言われて、最終的には自分で決めろ。で、決めるための情報は十分に与えない。さらに、責任は取れ。
よくできています。感染が拡大したら、「そんなとこに行くからだ」と言い、経済が冷え込んだら「買い控えが広がった」。
いずれにしても、個人が自己決定をせざるを得ない状況になっていて、その結果は個人の責任。病気を広げようが、経済を沈滞させようが。結局、国(も会社なども)は責任を取らなくてよいようにできている。
あしたのジョーのように…
国民は、国の要請やマスコミの情報を素直に受け取ってますね。ちゃんとマスクは買い占めるし。何も考えることなく「ハイ」と言うようになったんでしょう。
ハイ(だけ)になった人々。終わりですやん。
誰かぁ。タオル投げてぇ。


