ダニエル・ゼペック(ヴァイオリン)

タベア・ツィンマーマン(ヴィオラ)

ジャン=ギアン・ケラス(チェロ)

 

ベートーヴェン 弦楽三重奏曲 3番 二長調 Op.9-2

ヴェレシュ 弦楽三重奏曲

モーツァルト ディヴェルティメント 変ホ長調 K563

 

2024年3月19日、王子ホール

 

 

モーツァルトのディヴェルティメントK563は、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロによる、弦楽三重奏曲。いちばん好きなモーツァルトの曲は?と聞かれたら、その日の気分によっては、この曲をあげてしまうかもしれない。

晩年のモーツァルトの音楽の多くは、転調による長調と短調の交錯が、まるで自然の移ろいを思わせるような、味わいと深みを聴かせる。典型的な例が、クラリネット協奏曲、ピアノ協奏曲25番、交響曲38番「プラハ」といった名曲の数々だが、その味わいを最もシンプルな形にしたのが、このディヴェルティメントだと思う。音も構成も、もうこれ以上には削りようのない、それでいて、自由闊達な、モーツァルトの辿り着いた、神業のような世界が、終始、展開する。
 

先日、聴く機会の少ないこの曲の、しかも三人の名手によるコンサートが、あった。いずれも、ソリストやコンサート・マスターとして活躍している。また、ヴァイオリンのアンティエ・ヴァイハーストとともに、アルカント・クァルテットとしても活動している。先年、来日した際、そのアルカント・クァルテットの、バルトークを含むコンサートを聴く機会があった。今のところ、ナマで聴いた、バルトークのベストのひとつ。

 

この日、むろん、私はモーツァルト目当で、ベートーヴェンは正直、退屈なばかりだったが、「バルトークの次の世代の作曲家」とパンフレットで紹介されていた、ハンガリーのヴェレシュの演奏は、素晴らしいと思った。初めて聴く曲だが、曲自体も、バルトークに通じる要素も多く、楽しめた。楽器を叩く奏法をまじえたりする、「これは、さぞ、演奏が難しいんだろう」と思わせる部分が頻発するが、この三人の手にかかると、見事にこなれた、「聴かせる」音楽になってしまうのだから、たいしたものだ。

 

ヴィオラのツィンマーマンは、昨年、九月、こちら↓の、東京都交響楽団のコンサートで聴いたばかり。

 

 

ヴィオラに編曲された、モーツァルトのクラリネット協奏曲を、あのツィンマーマンが、演奏するとのことで、興味津々、聴きに行ったが、モーツァルトがクラリネットのために腕を振るったこの名曲を、ヴィオラで置き換えて表現しようとするのは、ツィンマーマンをもってしても、やはり、無理。「もとのクラリネットなら、ここは、こんなに深い表現が可能なんだがなァ」と、あちこちで嘆息しながら聴いていた。でも、当日配られたパンフレットに載ったインタビューで、本人が語っていたように、ヴィオラの活動領域を広げようとする、その果敢な姿勢には感心する。

そして、今日のコンサート。ツィンマーマンが、再び、仲間とともに、モーツァルトに挑んだ。実は、二年前にコロナで中止となって、私としては、ほぞをかんだ公演である。

 

休憩をはさんで後半、モーツァルトの開始前、小さなホールなので、この名手たちが、非常に緊張しているのが、その表情から、わかる。名手なればこそ、この曲を演奏する困難さがよく分かるのだろうと思った。開始前半、ヴァイオリンのゼペックが、やや、前のめりで、時に、きつい音で、ヴァイオリンを鳴らす。ヴイオラとチェロが、落ち着いて、それを受け止める。ギリギリのあやういバランスの演奏。「そんなに、がんばらないように、がんばって」と、妙な、祈るような気持ちで聴いていた。もっと、悪く言えば、ちんまりとまとめるような演奏も、当然できるのだろうが、三人とも、果敢に自己主張しつつ、なおかつ、美しい均衡を保とうとする....

その果敢な「攻め」が、至高の美しい瞬間を生み出していたのは、第五楽章メヌエット。私は、ここの、第二のトリオの、はかなく切ない、ヴァイオリンの響きが、この曲全体の肝だと思っている。この部分を聴くと、モーツァルトの、妥協を許さない美の追求と、現実生活へのため息が、重なって聞こえてくるようで、胸が熱くなる。そのヴァイオリン担当のゼペックが、楽章間の短い休憩で、自分を落ち着かせるように、長い間を取っているように見えた。そして、三人の名手の、ギリギリのせめぎあいは、(私に言わせれば肝の)この曲想を見事にクッキリと浮かび上がらせた。いっさいの感傷の無い悲しみ。モーツァルトにしかない、明るくてかなしい世界。「こんなモーツァルトは、ひょっとしたら、もう二度とは、聴けないかもしれない」と思いながら、聴いていた。終了後の、ホッとした三人の表情が印象的だった。ツィンマーマンの笑顔が輝いていた。

こんな良いモーツァルトをありがとう。そして、お疲れ様。そんな声をかけたかった。